現代文明は電気にその全てを頼っている。しかしその電気は今の日本ではあまりにも簡単に手に入り、ありがたみが常日頃意識されていない。本書『TOKYO BLACKOUT』のある登場人物は言う。「いつでも使えて当たり前だと思い込むほど、僕らは電気に生活を依存していた」。まさにおっしゃるとおり。電気、それはもはや空気なのである。しかし、ひとたび大規模な停電が起きたら、特に大都会はただでは済まない。
福田和代『TOKYO BLACKOUT』は、首都圏に電力を供給する電線がテロで寸断され、東京全域が大停電に見舞われる物語である。作中では非常に精緻な停電シミュレーションがおこなわれているが、同時に人間ドラマも綿密に描き込まれ、非常に味わい深い小説となっているのが特徴だ。
8月24日午後7時から9時にかけて、アジア系の青年たちが、首都圏に電力を供給する重要な電線を3箇所で爆破する。うち1箇所では、たまたま居合わせた保守要員を殺害して罪を重ね、もう1箇所では爆薬を積んだヘリコプターで突っ込み、脱出に失敗した仲間を1名失った。テロを仕掛ける地点が非常に効率的に選ばれていることから、電力供給体制を知悉する者が背後にいることは明白であった。
このテロにより電力供給量が急減した首都圏では、当日夜に1時間半の停電が起きる。しかしこれはより大規模な停電の幕開けに過ぎなかった。需要量がピークを迎える翌日以降の日中に電気がさらに不足することは必定で、このままでは首都圏全域が一斉に停電し復旧にも時間がかかる「ブラックアウト」現象が起きてしまう。焦った東都電力は国と協議し、首都圏を何区域かに分けて、2時間程度の停電を順繰りに実施していく「輪番停電」を計画する。最近導入された新集中制御システムを使えば、この輪番停電も容易なはずだった。
一方警察は、ヘリ爆破現場にあったテロ実行犯の死体の身元を特定する。彼は失踪中のベトナム人研修生・ファンで、数ヶ月前、同僚のグエンと共に受け入れ先の町工場で作業長を殺害し、指名手配を受けていた。殺人容疑者が電力テロに加担していたことで謎は深まったが、その矢先、25日午前9時前、東京全域でブラックアウトが発生してしまう! 東都電力の新システムがうまく機能しなかったのだ。システムには巧妙な罠が仕掛けられており、設計者のシステム会社社員・安西が関与を疑われる。しかし彼は既に姿を消していた。やがて、安西には東京を憎む事情があると判明し……。
本書で出て来る電力会社・東都電力は東京電力株式会社をモデルとしている。作者は電力会社の業務内容を相当取材した模様で、停電への対応が非常に生々しく描かれている。電力会社だけでなく、官公庁・企業・病院・鉄道会社等、各種機関の対応も丹念に書き込まれており、加えて、停電した都内各地の様子も随所に挟まれる。大トラブルが発生した東京を巨視的にも微視的にも活写しているわけで、読者は真に迫った停電模様を味わうことができるはずだ。
しかし一方で、先述のとおり、登場人物が織り成すドラマもなかなか印象的である。テロ事件の顛末を多面的に描くべく、作者は多数の登場人物を視点として用いるが、彼らはほぼ全員、血肉をもった人間として丹念に性格付けされている。数ページしか視点を担当しない人物にも固有の人生と内面があるのだ。本筋であるテロ事件と直接関係のないエピソードでも、作者は全く手を抜かず、各キャラクターを鮮やかに立ち上げており、読者を飽きさせない。たとえば、たまたま東京に観光に来ていたアメリカ人夫婦は、野次馬根性を丸出しにして笑いを誘う。戦争時の体験を活かし、嫁と孫を指導して電気抜きで食事を作るお婆ちゃんもたくましく、いい味を出している。この2例は愉快なエピソードだが、最初に殺害される鉄塔保安要員が家族を思いながら死にゆく場面など、深刻なエピソードもあって、硬軟軽重織り交ぜて読者を物語に引き込むわけである。
端役でこれなのだから、主要登場人物は当然、さらに濃密なドラマを展開している。
周防刑事は、家庭崩壊の危機に瀕しながらも、主犯の安西を追う。中央給電指令所のメンバーは、名誉も賞賛も求めず、停電トラブルに電力マンとしての誇りをかけて取り組む。ベトナム人青年グエンは、中小企業の困窮と外国人差別という日本社会の歪みに翻弄され、いつの間にか人の道を踏み外してテロに走ってしまう。彼らは自らが担当するパートで、それぞれ異なったテーマを浮き彫りにしている。
そして最も重要な登場人物は、事実上のテロ主犯・安西である。ネタばらしになるので詳しく書けないが、安西は東京という街に運命を狂わされたのだ。そしてその復讐のため東京にブラックアウトをもたらした……のかどうかは、読んで確認して欲しい。ただしこれだけは言っておこう。今まで縷々述べてきたように、本書では様々な出来事が描かれる。しかし雑多という印象は全く受けない。大停電という話の幹が終始ぶれていないからでもあるが、一番大きいのは、終盤が近付くにつれ安西の犯行動機が物語の焦点になってくることだ。灯りの消えた東京において、人の情が鮮やかに浮かび上がる――最後に提示されるこの情景に、多くの読者が感銘を受けるのではないだろうか。
というわけで、首都圏を狙ったテロというスケールの大きな事件を扱いながら、本書は人間の心をしっかりと捉えており、各エピソードを通して、大都会東京で懸命に生き抜く一人一人の顔が見えて来るのである。もう少しポリティカルな要素を強めても良かったと思うが、まあそれはないものねだり、あるいは単に読者の好みの問題である。いい出来に仕上がっていることは間違いない。
停電とテロが醸し出すサスペンス、そして人間ドラマの情という両面から、『TOKYO BLACKOUT』は読者を魅了する。完成度の非常に高い傑作クライシス・ノベルとして、強くおすすめしたい。
なお作者の福田和代は、2007年に『ヴィズ・ゼロ』(青心社)でデビューした作家である。この処女作『ヴィズ・ゼロ』は、関西国際空港を舞台としたハイジャック事件をリアルに描く力作だったが、残念なことにあまり注目されなかった。出版社を変えての『TOKYO BLACKOUT』で、今度こそ福田和代が正当に評価されることを願う。