この名著が文庫化されたのが十月の頭。もっと早く取り上げるつもりが、今日になってしまったのは、この本が一時行方不明になっていたからだ。図書館から、別の本の貸し出し期限が大幅に切れて、返却の催促を受けたことから、大急ぎで本のジャングルのようになった部屋を捜索したら、図書館の本とともに『ボン書店の幻』が見つかった。よかった。この書評も「幻」になるところだった。だから少し長くなります。覚悟してつきあってください。
とってつけたような展開だが、この本もそうして行方不明になった出版社とその主を捜索する話なのだ。もとの本は白地社という、これも幻となった京都の小出版社から出された「叢書レスプリ・ヌウボオ」というシリーズの一冊で、それは一九九二年のことだった。出てすぐに一部の読書人たちに、驚きとともに迎えられ、出版社自体が消滅したことで、長く入手困難な名著として高額な古書価がつく一冊だったのである。文庫に入るなど夢また夢。長生きはするものだと思っている。
一九三〇年初頭に、鳥羽茂という若者が自分で活字を組み、日本のモダニズム詩人たちの詩集を編集印刷し、世に送っていた。それが「ボン書店」。モダニズム文献を専門とする古書店・石神井書店店主の内堀弘は、商売柄、日本の近現代の詩集を扱うなか、北園克衛、春山行夫、安西冬衛、山中散生などの、「華美に走らず通俗に陥らず、作品を盛る器(書物)の簡素な美しさ」を持ったボン書店の刊行物に瞠目し、蒐集し、やがて「ボン書店とは何だったのか」と考え始める。
しかし手掛かりはまったくない。文庫化にあたって付せられた素晴らしいあとがきによると、元の本が出た以後に鳥羽茂の息子とめぐりあい、そこで「あなたのご本を読んで、親父に会えました」と古稀に近い男から告げられる。遺品もなく、『ボン書店の幻』に掲載された写真が、「初めて見る父親の顔」だったという。「彗星のように消えてしまった」出版社と社主を追いかけることは、じつは途方もない冒険のようなものだった。
加えて、この国では出版社の消沈にひどく冷たい。「なぜ書物というものは著者だけの遺産としてしか残されないのだろう。幻の出版社といえば聞こえはいいが、実は本を作った人間のことなどこの国の『文学史』は端から覚えていないのではないか。とすれば、なんとも情けない話だ」と、著者は「はじめに」で異議申し立てをしている。たしかに、太宰治の処女出版『晩年』のことは知っていても、それを出した砂子屋書房、および社主の山崎剛平を知る者となると、格段にその数は減る。大学の教師や研究者だって、夏目漱石や宮沢賢治については、毎年、墓を暴いて砂粒の一つを持ち帰るような論文を山のように積み上げるくせに、誰も顧みない小出版社のことなど、見ないふりをしている。
内堀弘は、毎日のように過去の出版遺産ともいうべき古書の堆積を踏み分け、身銭を切って買い上げ、またそれを必要とする人に手渡すという仕事をしている。出版社はもちろんのこと、奥付から広告、装幀や造本、挟まった印刷物からささいな一行までも重要な情報として価値付けをする。マグロはトロ、と決めてテキストにしがみつく紙上の研究ではなく、頭から尻尾、骨まで捨てるところなどなく、隅から隅まで吟味して、調理してしゃぶりつくすのが古書店。だから、先のような指摘もできるのである。
ちょうどボン書店の活動期に、ラジオで詩の朗読の番組が放送されていた。超現実主義の詩もまた、音楽に乗せて朗読された。
「もともとは詩は歌われるものだったのだ。それが近代の印刷技術の発達で『歌われる』ものから『印刷される』ものに変わった。『聞く』から『読む』に、さらに『見る』『触る』『驚く』ものへと裾野を広げ、しだいに韻律から離れていったのであった。そしてラジオが登場した」
まさしくこの時、われわれは「見る」「触る」「驚く」ように、詩の享受の変容につきあうことになる。
内堀弘は、そんな手つき、手さばきで、古書店主の利点を生かして、広く資料を逍遥し、関係者の話を聞き、一歩一歩、鳥羽茂とボン書店に近づいていく。
昭和五年の春の終り、銀座のカフェの片隅で、のちにボン書店から詩集を出す北園克衛と岩本修蔵が新しい詩の雑誌の相談をしている。これを内堀は「坂本龍一と細野晴臣が新しい音楽のことで話し合っている」図になぞらえる。新しい風が吹く時、その風が帆をふくらませる時、複数の才能が磁力のように吸い寄せられ、スパークする。それはいつも静かだか、密かな熱を帯びた誕生の瞬間なのだ。昭和初年のモダニズム詩の運動のなかに鳥羽茂もいた。
あれはいつだったか、雑司ヶ谷・鬼子母神あたりを、早稲田の古書店「古書現世」の二代目店主・向井くんと歩いていた時、向井くんがふと「ああ、このあたりにボン書店があったらしいですよ」と指さした。それは住宅街の一画で、瀟酒なモダニズム詩集を送り出した小出版社を偲ぶものは何も残っていなかった。しかし、その路地の奥に、貧乏と病気を背負いながら、詩集づくりに励む若い男の幻影がいっしゅん、見えた気がした。『ボン書店の幻』を読んでいたおかげである。