この原稿を書き始めた今、日本時間の11月3日午後7時半には、まだアメリカの第44代大統領は選出されていない。オバマ有利と言われているけれど、フタを開けてみるまではわからない。なにしろ、あのアメリカの選挙なんだから!
もしバラク・オバマが勝てば、言うまでもなく、アメリカ史上初の黒人の大統領だ。ただし、この人はお母さんが白人なので、混血と呼ばれることもある。ちなみにミドルネームは「フセイン」。これはお父さんがケニア出身のイスラム教徒だからで、この一点だけを取って「オバマはイスラムのテロリストの一味だ」という説得力ゼロのトンデモ攻撃をする輩も存在する。さすがアメリカ! なんでもアリなのだ。
オバマ大統領が誕生すれば、アメリカの黒人の歴史やレイシズムに関する書籍が、少なからず日本の書店の店頭をにぎわすことになるかもしれない。実際オバマ自身も、民主党大会で、「私には夢がある」で有名なマーティン・ルーサー・キング牧師の「夢」(むろん、人種差別撤廃の夢だ)について言及している。アメリカの歴史に新たな1ページを加える黒人指導者として、キング牧師とオバマを重ね合わせる人も多いはずだ。
と、いうことで本特集の2冊目には、黒人指導者の自伝を取り上げてみたい。ただし、キング牧師ではなく、かつて同等の影響力を持ち、より「過激」な指導者と言われたマルコムXの自伝である。
マルコムX。本名はマルコム・アール・リトル。39年間の風のような生涯は、あらゆる意味で休息と無縁の時間だった。「私には常に、自分が激しい死を遂げるだろうという予感があった」というその言葉どおり、1965年2月21日、マンハッタンのオードゥボン舞踊場でスピーチの途中、ステージに向けて発砲された15発の銃弾に倒れた。39歳で暗殺されるというのは奇しくもキング牧師と同じであり、またその自伝が、執筆ではなく口述によるものである点も同じである。
マルコムXの一生を、前半部だけ駆け足で追ってみよう。1925年5月19日、ネブラスカ州オマハに生まれる。生誕の時にはすでに父親は亡くなっていた。白人の庇護の下に生きるのを拒否していた父、アール・シニアは常日頃からKKKに付け狙われ、線路に放置されて轢死体で発見されたという。理不尽な警察の捜査で自殺と断定され、ために保険金が下りずに一家は困窮、母親は精神を病んで病院に収容されることになる。母親は黒人と白人の混血だが、それは母親の母親、つまりマルコムの祖母が、白人に強姦されてできた子だからである。里子に出されたマルコムは上流家庭の家で育てられ、学校の成績は抜群だったものの「黒人はどんなにがんばっても弁護士にはなれない。もっと“現実的な仕事”をめざすべきだ」という教師の発言などもあって高校を中退、ボストンに出て、やがてハーレムへと渡っていく。
ここでマルコムは一気に「悪」の色に染まる。靴磨きや列車のウェイターなどの仕事をこなす傍ら、ギャンブル、麻薬、ポン引き、果ては強盗まで働いて逮捕。そこでなんとかマルコムを真人間に「改心」させたい家族はイスラム教を導入、ネイション・オブ・イスラム教団(通称ブラック・ムスリム)の指導者イライジャ・ムハンマドに毎日熱心に手紙を書き送り、絶対的に帰依するようになる。出所後は、同教団のオルガサイザーとして卓越した能力を発揮し、ナンバー2の存在として実力を発揮するようになる。
このあと、イスラム教徒としてメッカを巡礼、同教団との離反などめまぐるしく状況は推移していくわけだが、その後半生について、特に離反から暗殺までの経緯は書かずにおく。ここまでの歴史だけでも、十二分に壮絶な生涯と言うべきだろう。ちなみにマルコムXの「X」とは、ネイション・オブ・イスラム教団から授けられた名前で、これはアメリカ黒人の名前は本来の名ではなく、奴隷所有者が勝手に名付けたものだから、それを否定して、「未知数」を意味する「X」を採用する、という発想に基づいている。
マルコムXとは、いったいどんな人物か。その個人史と特徴、個性のエッセンスを、当人が巧みに言い表した箇所があるので引用しよう。
「私はいわゆる「指導者」としてABC、CBS、NBCなどの放送を通じて全国に語りかけることができるし、ハーバードやタスキーギーなどの大学でも講演する。同時に私はいわゆる“中流階級”黒人たちとも、ゲットーの下層の黒人大衆とも膝をまじえて話すことができる(ほかの指導者はそういう連中の話をするだけだ)。そしてかつてハスラーだった経験から、現実にアメリカでもっとも危険な黒人とは、ゲットーのハスラーたちだということを、どんな白人よりも、どんな黒人「指導者」よりもよく知っていた」。