2つめは、そのブッシュとかつて共和党内で闘い、今回の大統領選でオバマと闘ったジョン・マケインについてである。共和党の候補というと、どうしても、タカ派でネオコンで、というイメージがあり、事実マケインだってそうなのだが、この本ではジョン・マケインという筋金入りの人物の相貌が浮かび上がってくる。マケインは泥沼のベトナム戦争に従軍、そこで壮絶な経験をしながら、その後の人生をルサンチマンに塗り固められた生き方で過ごすようなことがなかった。
町山智浩はこう書いている。
「ベトナム軍はプロパガンダのためにマケインにアメリカの行為を懺悔させようとした。連日拷問が続いた。傷の癒えぬ腕を後ろ手に縛り上げて吊り下げるのだ。食事には小石が混ぜられ、彼は歯を4本失った。マケインもついに挫け、懺悔のテープが録られた。父を裏切った自分に絶望して首吊り自殺を図ったが助けられた。’73年、アメリカはベトナムに敗北し、マケインは釈放されたが、36歳の彼の髪は真っ白になり、膝や腕にも一生不自由が残った。戦場に戻れなくなった彼は広報官となり、政治家への道を歩み出す。
しかしマケインはベトナムを恨んではいなかった。『友人になれた男同士が憎みあったのは悲劇だ』と言う彼は、’90年代、上院議員としてベトナムとアメリカの架け橋となり、国交を正常化させた。ブッシュ政権によるテロ容疑者への拷問にも、拷問の経験者として激しく反対した」。
ヒロイズムに傾きそうな、あやうい線でこれが書かれていることは自覚したい、と思う。著者は「だから時期大統領として彼はOKだ」と言っているわけではまったくない。しかしこのあたりの記述は、いわゆる「リベラルな論客」なら、知っていても割愛するような側面であり、こういうのが読めるところが『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』のスリリングな楽しさである。
通読してつくづく感じるのは、アメリカにはほんとうに「外部がない」ということ。多くのアメリカ人にとって、お隣の州はあっても、お隣の国はない。じゃ、何があるのか? そう、アメリカン・ドリームってヤツですよ!
「それでも懲りずに、アメリカ人はまた別の夢の風船を探して膨らますんだよね。割れるまで」。
外部がないからサイズがわからない。わからないから無限に膨らます。割れるに決まっているのだ。反知性主義なのだ。しかし、「それでもアメリカに希望がないわけじゃない」と町山智浩は書く。
「それでもアメリカに希望がないわけじゃない。どこの国よりも激しく、その血を入れ替え続けているからだ。たとえば、うちのカミさんもアメリカの大学で情報工学を学んでシリコンバレーのIT企業に就職したが、そこには世界中から技術者が集まってくる。カミさんの会社の同僚のホームパーティーに行けば、韓国、インド、ロシア、フィリピン、ドイツ、ブラジル……。世界じゅうの家庭料理が持ち寄られ、いろんな訛りの英語が飛び交う。(中略)
一元的なアメリカを守りたい人々には嫌だろうが、アメリカは世界と血管をつなげて新しい血を取り入れている。それがアメリカを再生するかもしれない」。
アメリカの多国籍ホームパーティー。ああ、楽しそうだナ、と思う。日本だったら、「あそこの外人の奥さんもお招きして…」なんて、少なからず勇気を振り絞ったりするところだ。ことほどさように、日本人にとってアメリカは遠い。「日米同盟」とか、よく言うよね。さいきん「同盟」って言葉がよく使われるけれど、あれはどうしてですか?
深刻なテーマを深刻に書かない。ユーモアを網棚に置き忘れたりしない。そして同時に、文章の底のほうには熱いマグマが滞留している。そんな、町山智浩の流儀に乗っかってみましょう。