30年以上川柳に親しんできた者として、私は、近年の川柳ブームを苦々しく思ってきた。
川柳が注目され、人気が高まるのいいことなのだろうが、その中で生まれる川柳句の底が浅くてうんざりしてきた。五七五で、世相を笑う、体裁ばかりの建前の裏をえぐる、人間の性をさらけ出してみせる、偉そうにしている者たちの嘘を笑う、という基本的の上に成り立っている川柳だが、そこに「うがち」という奥行きが必要だと私は思ってきた。「うがち」という軽い知的作業を楽しませる川柳句が少ない。
サラリーマン川柳など大量の応募から選ばれた川柳を読んでみても、その奥行きがない。売れ出したお笑い芸人が雑談番組に顔を並べて、司会者の言葉の揚げ足を取ったり楽屋落ちで笑っているだけ、というのに近い。心に響かない。思わず膝を打つ、ということがない。
古川柳と呼ばれる、「俳風柳多留」あたりを基本にした江戸時代の川柳が崩れていったのは、「うがち」が薄まり、皮相な笑い、含むところのない言葉遣いに落ちていったからではなかったか?
そうだったんですよ。
ナマイキな言い方ですが、昨今の川柳の多くが初めからそういう傾向を持っているのが、私は気に入らないできた。まぁ、ブームというのはほぼそんなものと思って間違いがないと思うけれど。
だから、川柳好きの私は、川柳に関した優れた本を読みたいと思い、探している。見つからなければ、古い川柳をおさらいするばかりである。岩波文庫の五巻にまとまった「俳風柳多留」、これを繰り返し読み、古川柳の解説本を読む。いつまでたってもわからない句がある。そして江戸のあれこれを勉強していて、「あ!」と思うことがある。江戸期には常識だったあることがわかって、何年も謎だった川柳が理解できる、といったことが起こるのだ。単に、わかりにくいのが「深い」というのではない、少し知的負担をかけてくれて、謎解きの楽しみもあるような川柳が味わい深い。
川柳で「十三日」といえば、暮れの十三日のことで、この日は年末の大掃除の日とされ、掃除が終わったあと、指揮した人物を胴上げするのが習慣だった。ということがわかるまで、「十三日」が出てくる川柳がわからず、面白がることができなかった。現代人が作る川柳でも、100年後「ケータイ、省エネ」などという言葉、「ホワイトデー」などという馬鹿な習慣が理解できるかどうかというのに似ているが、川柳の意味合いでは少し違いがあるような気がする。
さてさて『川柳うきよ大学』。
この本は、著者の小沢昭一が『小説新潮』に持っているコラムに投稿してきた川柳から、「小沢昭一的川柳のこころ」にかなう作品を選んで月々紹介しているのを、一冊にまとめたものだという。
小沢昭一が変哲という俳号を持って俳句を詠んでいることは知っているが、その俳号は、実父が使っていた川柳名だそうだ。父親は変哲で川柳、息子は変哲で俳句を詠んでいるというのは、いいなぁ。
日本の民衆芸能に造詣が深く、また落語に通じていることも今さらいうまでもない著者は、親子二代にわたって川柳に浸っているわけで、「うがち」についても百も承知。そのせいもあって、この本の中でも時折、昨今の川柳詠みの勉強不足を指摘している。
そこがこの本の面白いところ。
連載しているコーナーへの投稿なので、あまり悪くは言えない、また、言わない著者が、「んん、こういうのばかりだと困るなぁ」とため息をついてしまう感じがわかる。それでも、さすがに『小説新潮』だ、大人の読者、人生経験の長い読者が多いのだろう、うまい句がある。ああ、ここにちゃんと川柳がわかって句を作っている人たちがいるということで、私は安心した。
小沢昭一が「破礼句」を募集すると、これがなかなか面白い句が集まる。へへ、「破礼句」を知って作っている人いるというのが何ともうれしい。
「破礼句」は「ばれく」と読んで、ええ、猥褻な句、男女の下半身にまつわる川柳。とは言っても「あまり下卑ている」のは排除。露骨はいけません。
『弁慶と小町は馬鹿だなぁかかぁ』という、実になんともいい句があるのですが、こういうのが川柳の良さ。
こうした「破礼句」も嫌いではない著者が、本流の川柳を下敷きに、近代の川柳作品にまつわる研究本、古川柳の研究本なども紹介しつつ展開する川柳本、素晴らしく楽しい本です。
時々しか聞けなくなったが、ラジオの「小沢昭一的こころ」のファンとしては、さすが! 小沢さん! と絶賛するのみ。この新書の中で著者が真面目に川柳を勉強し続けていることを知ってとてもうれしかった。私も怠けないようにしようと思う。
川柳の入門書として、やや上級かも知れないが、お薦めしたい。
※念押し
「弁慶と小町は馬鹿だなぁかかぁ」。
編集部より、この川柳句を解くように、という注文がありまして、追加、念押し。
この句、「破礼句」としては有名な句です。
状況を「夫婦がすることを終えたばかりの二人」と読みとります。歴史上の伝説では、弁慶、小町はそれぞれの生涯において男女の行為をしなかったことになっております。
で、そのたった今終えたばかりの夫婦が「こんなにいいことを、弁慶と小町はしなかったんだって、馬鹿だよねぇ」と感想を漏らしている。
川柳のばかばかしさ、くすくす、あるいはにやにや笑い、ハタと気づく気分などがよく出ています。
それほど下卑てはいない「破礼句」だと思います。
こうした「破礼句」ばかりを集めた川柳集に『俳風末摘花』という本があります。戦後すぐまでは発禁本だったと聞いています。古本屋で探せば見つかるはず。解説本も出ています。モロな下ネタではなく「川柳にはこういうのがあってね」といいたい方は、探してみてください。ふふん。