又、次の大川で屋形船を仕立ててやる句座では、浅草の芸者衆を呼んでのお座敷遊びが登場。やるのは「とら、とら、とら」、お芝居の国性爺(こくせんや)合戦にちなんだ拳(けん)遊びです。
千里も走るような
藪のなかを 皆さん
のぞいてごろうじませ
金の鉢巻襷に
和藤内がエンヤラヤと
捕らえしけだものは
トラ、トラ、トーラ、トラ
トラ、トラ、トーラ、トラ
トラ、トラ、トーラ、トラ
最後の「トラ」というところで、和藤内、虎、母親のいずれかのしぐさをし、それで勝敗が決する。こうした粋な場面があるかと思えば、その当時の世相描写もなかなかで…
「中村屋のライスカリーは旨いもんねえ」
新宿追分にあるパン屋、中村屋の主人の相馬愛蔵氏がインド式カリーを発売して帝都の話題をさらったのは、五年ほど前のことだった。(中略)
「…そうそう。カリーもいいけど、上野にある楽天という店が今度はじめたトンカツってえやつもよござんすよ」
といった具合。
文人墨客、花柳界、歌舞音曲、純愛、悲恋、学究の徒、同人誌、満州、提灯行列、モダンガール、ゲルベゾルテといった、あの頃のいい言葉やイメージが物語の中を行き来して、何とも心地よい昭和初期の佇まいがたっぷりと味わえ、こんな贅沢はありません。
ちゑが暮愁庵を訪れるところから始まり、大川での舟遊び句座へと展開する「とら、とら、とら」。
麻生銀虹という満州帰りの女実業家が登場し、松太郎が狂言回しを演ずる「おんな天一坊」。
艶な恋文を貰った壽子にスポットを当てた「冬薔薇(ふゆそうび)」。
松太郎のお座敷で暮愁先生が一芝居を打つ、平安のむかしからおこなわれていた恋歌対戦「艶書合(えんしょあわせ)」。
そして、靄(かすみ)のようにたゆたう、ちゑの恋心を描いた「春の水」。
本書は、この五つの話から成っています。日本人ならもう一度こうした時代を復習し、その心持を大切にしなければ…と思いつつ読了しました。
それでは、最後に、三田完氏のプロフィールです。
1956年(昭和31年)3月18日生まれ。祖母は俳人の長谷川かな女。 NHK退職後オフィス・トゥー・ワンでニュースステーションの名物コーナーだった「最後の晩餐」などを担当。 2000年、「櫻川イワンの恋」で第80回オール讀物新人賞を受賞。2007年、『俳風三麗花』で第137回直木三十五賞候補。 知水(ちすい)という俳号で水明俳句会に所属する俳人でもある。
これから、贔屓にしたい作家の一人となりました。
直木賞ぜひ獲って欲しいものです。