法月綸太郎の看板作品といえば、作者と同姓同名の探偵(小説家が本業という点もいっしょ)・法月綸太郎が活躍するシリーズだ。『しらみつぶしの時計』は、その探偵・法月綸太郎が出てこない、ノン・シリーズ短篇集の第二作である。
第二作である、と簡単に書いたけど、第一作の『パズル崩壊』(集英社文庫)は一九九六年に出ているわけで、なんと十二年ぶりということになる。いくらなんでも待たせすぎですよ、法月さん。
探偵・法月綸太郎シリーズの短篇集は、第三集の『法月綸太郎の功績』(講談社文庫)に収録された「都市伝説パズル」が第五十五回日本推理作家協会賞の短篇部門を受賞するなど、高い評価を受けている。また二〇〇四年の長篇『生首に聞いてみろ』(角川文庫)は、二〇〇五年度の『このミステリーがすごい!』(宝島社)『本格ミステリベスト10』(原書房)で共に一位を獲得した話題作である。法月綸太郎シリーズは、ミステリー・ファンにとって安心して読むことのできるブランドになのだ。
だが無印作品を舐めてはいけない。前作『パズル崩壊』は、収録した中の数作品で先鋭的な謎のありようを提起した、画期的な一冊だったのである。これを読んで、目の覚める思いをした読者は多いはずだ。続く本書は、『パズル崩壊』ほどに尖ってこそいないが、ユーモラスで親しみやすいものから論理パズルの興味を徹底したものまで、多彩な作風の短篇が収められており、円熟の域に達した作家の芸が楽しめる、粒よりの作品集として仕上がっている。万人にお薦め、と胸を張って言えます。
表題作は、一分ずつ表示時刻がずれた千四百四十個の時計の中から、論理だけを武器にして正しい時刻を示している一個を選び出すというものだ。一時間が六十分で、一日は二十四時間だから千四百四十分ですね。論理だけが武器なのだから、外に電話をかけて、というような情報収集をしてもいけないのだ。密閉された、窓もない空間の中での作業だから、陽光や自身の体調の変化も当てにならないのである。そんなことできるわけがないじゃん、と思う人はぜひ読んでいただきたい。これと「盗まれた手紙」の二作が論理パズルの色合いが強い作品である。
犯罪コメディの要素が強いのが、巻頭の「使用中」である。密室の構成法など、ミステリーのバリエーションに関する論議を含む、マニア向けの一面も持つ作品なのだが、ネタ切れ気味で神経質になっているミステリー作家と、無神経な発言でその作家を苛立たせる編集者(モデルがいないことを望みます)が、意外な人物によって殺人事件の渦中に巻き込まれる展開がテンポよく語られる快作だ。
続く「ダブル・プレイ」も、交換殺人というミステリーの古典テーマを扱っている。ここでも大胆なアレンジが施されているので、ご期待を。難易度は高等数学レベルではなくて私立中学お受験級という程度か。いや、お受験の試験問題のほうが高校の教科書に載っているものよりも難しいことだってあるんですよ。
他の作品では、思いがけないファンタジー作品の「猫の巡礼」なども可愛らしくていいが、私が感心させられたのは「四色問題」と「幽霊をやとった女」で作者が示した〈芸〉だ。この二作は、故・都筑道夫が創造した探偵、退職刑事とクォート・ギャロンの両名をそれぞれ登場させたパスティーシュ作品なのである(詳細は作者自身によるあとがきを参照していただきたいが、クォート・ギャロンはエド・マクベインが創造したキャラクター、カート・キャノンのパスティーシュ・キャラクターなので、この作品はパスティーシュのパスティーシュということになる)。プロットだけではなく、都筑の文体の手癖までも真似た手腕は脱帽ものだ。こう言っては失礼かもしれないが、意外と器用なんですね。巻末の「トゥ・オブ・アス」は長篇『二の悲劇』(祥伝社文庫)の原型になった短篇作品で、これのみ法月探偵が登場する。といっても法月が学生時代に発表した習作なので、探偵の名前は法月「林」太郎だ。ファンの方は、綸太郎探偵とのキャラクターの違いにも注目して読んでみましょう。
以下はおまけ。このサイトを見ている中に、「野性時代」の二〇〇八年五月号を手にとって読む機会がある人がいたら、ぜひ実行していただきたい。そこに掲載されている「ノックス・マシン」という短篇が素晴らしいからだ。法月が初めて書いた本格SF作品で、近未来を舞台にしている。この世界においては数理文学分析が発達した結果、コンピューターによる自動筆記作品が人間の書いた小説を市場から駆逐してしまったのだ(書評という文芸ジャンルが生き残っているかどうかは不明)。一人の文学研究者が、まだ荒らされていないマイナー・ジャンルとして探偵小説に着目し、イギリスの作家ロナルド・ノックス(実在します)が発表したミステリー創作のルール集「ノックスの十戒」を選んで分析を開始したところ、とんでもない事実が判明する。中段に出てくるSF的な理論が、探偵小説的な文脈の中にきちんと収納された上で幕が下ろされる点が素晴らしい。パロディSFとしても、ミステリ・コメディとしても出色の出来だ。やっぱり器用なのである。法月さん、この作品を収録した短篇集も、早く出してください。……十二年なんて待たさずにさ。