この本には「新」という文字がついている。「新」ではない『進化論が変わる』という本は、1991年に出版されていて、私は読んでいるのです。読んではいるけれど、何も覚えていないなぁ、ということで、前の本を本棚から引き出してみると三分の二ほど読んで、諦めたらしい気配がある。奇妙な箇所に栞が挟まったままであった。本を読んだら必ず奥付に書き込む、読了日が記されていないので、読み終えていないことがはっきりしている。
今度の『新・進化論が変わる』は、途中滞ることなくスラスラ読めた。面白いですよこの本は。いえ、前の本も面白いのだけれど、私がついていけなかったのだ。
科学分野で、少しまとまった知識を得ようと思った場合、「講談社ブルーバックス」は非常に大切な新書だと思って読み続けてきた。大きくいって科学分野で「あのことについて知りたい」という場合は、この新書から入るといい。専門書ではないが、専門家が素人に対して「ああ、そういうことか」とわかる程度に導いてくれる。
そして、上に書いたように、1991年に『進化論が変わる』という本を出し、17年後、同じ著者たちに「新」を書かせる、書いてもらうという態度がいい。
今、科学は猛烈なスピードで、わかることの数を増やしている。科学が「進んでいる」かどうかはわからないが、科学技術の発達・進歩によってついこの前までわからなかったことがわかるようになっている。だから17年前にわかっていたことと、今はわかるようになっていることの差が非常に大きく、そのことを上手に教えてくれる「同じ分野の新しい」本を出してもらうと、とてもありがたい。
特に、私のように「とても覚えきれない」と判断したのだろうが、それでもこの本は持っていた方がいいなと、17年前の『進化論が変わる』をちゃんと持っていて、今度の新刊とちょっと見比べてみたりするような者には、2冊の間の時間がとても意義深い。
例えば、恐竜関連の本では、古い本だと「恐竜は爬虫類の祖先」と見なすのが普通だったが、今では、鳥類の祖先だったということになってしまった。その間の本をまめに読めば、どういう発見、どういう研究によってそうなったか、そういう理論が成立した理由は何か、それまでを間違いとすると何を見間違えていたかなどがわかるわけだ。科学というのは、そういうことの積み重ねをする分野だと思っているので、改まっていく過程そのものも面白い。
恐竜では、かつて、卵の化石の近くにあった恐竜の化石について、他の恐竜の卵を食べる恐竜だとしたことがあった。その後、それがそうではなく「卵を抱いていた、母親恐竜の化石だった」ということになった。 おいおい「卵を抱いた」となるとその恐竜の体温は高かったのか? となる。でしょ? 素人でもわかる。さぁ、恐竜の体温はどうだったんだ、と騒ぎなる。それにあんなでかい体で卵を「抱いた」のか、と疑問がわき出す。
そこに「古代植物学」というのか「植物考古学」というのかその分野の人が参加して、恐竜の卵の化石の下や周辺の土を集めて細かく研究する。そうしてみると、花粉がびっしり集まっていることがわかった。さてそこから、恐竜は沢山の花を集めて巣を作って卵を産んだあと、さらに花を集めてきて卵を覆い、花が腐って発酵熱が出るのを利用して孵したのではないか、という説を導き出す。結論が出たわけではないようだが、持続して恐竜関連の本を読むことで、そういう話を知ることができる。爪の化石を、鼻の頭につけて「角があった」と復元した時代からは、ずいぶん進んだ。そういうのが科学の面白いところではないか。
科学は万能ではなく、仮説を立てて論理的に試行錯誤するところがいいのだろうし、その中の「面白い部分を、素人にわかりやすく語ってくれる」新書は、実にありがたい。