生まれて初めて映画館に足を踏み入れた時の感触を、いまだに忘れずにいる。たぶん、4歳か5歳。もう40年も前の話である。それは、純粋な恐怖そのものだった。前方にスクリーンを見ながら、後方右手のドアから入った。いきなり鼻先も見えない真っ暗闇。少し時間が経てば暗さに目が慣れるということを知らなかった。ドアの向こう側がそんなにぷっつりと暗いものだとは知らなかった。自分の歩いているところがどうやら通路であり、左右の席には客が座っているらしいということはわかった。しかし、油断をすると足を踏み外して奈落に落ちそうだ。なんでこんな目に遭うのか、状況を呪った。父親は、先導する係員の女性(懐中電灯を持っていた。良き時代である。その後、映画館ではめったにそのような懐中電灯を見なくなり、見ても自分には関係がなく……と思っていたら、ある時、神保町の岩波ホールに遅れて入っていって、中年の女性がまさに懐中電灯を持ちながら席まで誘導してくれたことがあり、感動した。リリアン・ギッシュが出演した『八月の鯨』を観たときのことである)とともにどんどん先へ行ってしまう。
観た映画は『キングコング対ゴジラ』もしくは『モスラ対ゴジラ』のいずれかである。残念ながらそこのところがいまひとつハッキリしない。いずれにせよゴジラだ。子供に見せる映画だし、どうせストーリーなんぞわかりはしないのだから途中入場でかまわないと思ったのか、それとも開始時間に間に合わなかっただけなのか、とにかく親父は場内が完全に暗くなってからさっさと入っていったのである。これは、いま考えても相当な蛮行だと思う。県民ホールで見るお芝居のように、ブーッとまずブザーがなって、少しずつ灯りが消されていき、だいぶ暗くなったところで、するすると舞台前方の幕が左右に開かれる。映画ってそういうのじゃないんだ、なんてひどい体験なんだと思った。そして父親に対して、この男は生まれて初めて映画館の暗闇を体験する幼児がどう感じるかということの想像力をまったく欠いており、おおげさでもなんでもなく、その時ほんとに「人間は孤独だ」ということがわかった。「人と人は、ほんとは理解しあうということはできないのである」ということが、あの時、ハッキリと、4歳だか5歳だかの自分にはわかったのである。ほんとだよ。だから映画は最初から痛いものだったし、怖いものでした。
とまあ、かくのごとく思っている自分であるから、映画の核心に「恐怖」があるというのはわかる。わかる気がする(いきなりトーンダウンかよ)。これは推測だが、人というのはもしかしたら、「恐怖」をそのまま「恐怖」として受け入れることができないのではないかと思う。だからそこのところを、幽霊や化け物や現象などの「怪奇」という体裁でもって入力し、はたまた「幻想」という体裁で出力する。そういうことなのではないか。カルピスを水で薄めて飲むように、人は「恐怖」を怪奇や幻想で薄めて味わうのである。だから、怪奇や幻想=恐怖なのではなく、恐怖と怪奇・幻想の両方が必要なのだ。でもね、カルピスはどのみち水で薄めて飲むのだし、飲んじゃう時に、「ここまでは水でここからがカルピス」なんて分けることはできないから、人々が映画を観て恐怖を感ずるというのも、つまりはそういうことじゃないかと、ぼくは思っています。だってホラ、原液も、水で薄めたのも、どっちもカルピスと呼ぶじゃないか。
森話社による「日本映画史叢書」シリーズの1冊として2008年の8月に刊行されたばかりの『怪奇と幻想への回路』は、「日本映画の父」と言われる映画黎明期の牧野省三の時代からいわゆるJホラーまで、日本映画がいかにしてスクリーンに怪奇や妖怪、幻想、フリークス等を定着させてきたかを、12人の筆者が論述するという試みである。この本の楽しさは、1から12まであるテキストを順番に読んでいくことで、通史ではなくとも、ある程度の日本映画史のダイジェストが駆け足で学べるという点に加えて、結果的に極めて統一性の薄い本になっていることだと思う。