総力戦下の日本美術史を知るにあたって、これ以上は望むべくもないほど豊富な情報と解釈・考察を提供してくれる美術書です。現存する代表的な戦時期の美術作品の鮮明なカラー図版251点に加えて、現時点では所在不明の作品の写真図版も豊富に収録されています。また、気鋭の論者による読み応えある論考と作品解説のほか、戦時期の日本美術界の動向を生々しく伝える同時代の新聞・雑誌記事も採録され、巻末には詳細な「関連年表」も付いているという充実ぶりです。たとえば、「1938年(昭和13年)9月 横山大観がヒトラー・ユーゲントに『日本美術之精神』を講話」(283ページ)といった年表の記述を読むだけで、近代日本美術史のミッシング・リンクが、にわかに明瞭なかたちで見えはじめるという興奮を覚えます。
日中戦争~太平洋戦争(「大東亜戦争」)期に描かれた「戦争画」と言うと、個性に乏しい画一的なプロパガンダ絵画を想像するかもしれません。しかし、カラー図版をめくってみると、そこにはジャンルにおいても画風においても、意外に一筋縄ではいかない広がりをもつ絵画の世界が開がっています。
たとえば、爆撃機を風に舞うカエデの種に、撃墜された一機を包む炎を珊瑚の枝に見立てたシュルレアリスム調の北脇昇《空の訣別》(図版002、8ページ)。アンソールを彷彿とさせる陰鬱な画調で出征兵士を送る人々の表情を捉える阿部合成《見送る人々》(図版003、9ページ)。ダリ風の地平線を背景にエロティックな西洋人女性の肢体を断片化して描く山下菊ニ《日本の敵米国の崩壊》〔人道の敵米国の崩壊〕(図版035、43ページ)。近世の合戦絵巻さながらの福田豊四郎《馬来作戦絵巻》(図版069、78-77ページ)などに目を引かれます。
その合間には、日本の敗戦後、『原爆の図』連作を夫・丸木位里と共に描き続けることになる赤松俊子(丸木俊)の《伸びゆく日本》(図版203、133ページ)、戦時体制下にあってモダンな都市風景への郷愁を描きつづけた孤高の画家松本竣介の《航空兵群》(図版199、132ページ)など、むしろ「反体制」「反戦」的なスタンスで知られてきた有名画家たちの、知られざる時局的作品も混じっています。
本書に図版収録された作品群の思いのほか豊かなヴァラエティが明らかにするのは、戦時期の日本美術界が、洋画と日本画、アカデミズムとシュルレアリスムといったジャンルや流派の違い、あるいは官展美術家と在野美術家といった階層の違いを超えて、ことごとく総力戦に「動員」されていったという事実にほかなりません。
こうした日本美術界の「総動員」に際しては、本書に採録されている「言ふことを聴かないものには配給を禁止してしまふ。又展覧会を許可しなければよい」(248ページ)という情報局情報官の鈴木庫三少佐(この「日本思想界の独裁者」とも称された強烈な個性をもつ人物については、佐藤卓巳『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』〔中公新書、2004年〕が詳細に論じています)の発言に典型的に表れているように、陸海軍をはじめ「お上」からの強い圧力が働いていたことは一面の真実です。しかし、その一方で、自ら進んで「参戦」しようとした美術家たちも少なくなかったことは、1937年に日中両軍が全面戦争に突入した直後から、軍の要請があったわけでもないにもかかわらず、「押しかけまがいの戦地行きを志願した」(154ページ)画家が多数現れたという事実からも明らかです。
本書でその一端を目にすることができる、従軍画家たちによって描かれた「作戦記録画」の数々は、19世紀のギュスターヴ・クールベから初期印象派に至るフランス画壇変革以前の「大絵画」「歴史画」の画一的なリアリズム様式を、100年遅れて再現することを試みたような、現在の視点からは「キッチュ」としか見えないような作品が大半を占めています。しかし、それを描いた藤田嗣治・宮本三郎に代表される洋画家たちにとって、日米総力戦とは、西洋絵画のひとつの頂点に君臨する「大絵画」「歴史画」を、日本においても真に実現する千載一遇のチャンスでもあったのです。
とはいえ、華やかな鎧兜も美々しく飾り立てられた軍馬もなく、ただカーキ色の軍服をまとった兵士たちの群が、勝敗のゆくえも定かには見分けられない突撃と退却をくり返す「絵にならない」近代戦を、「絵にする」ためには、それなりに涙ぐましい努力と工夫の積み重ねが必要でした。