「戦場」体験の辛い文章も戦後世代の私自身の気持ちをグラグラさせるが、戦後ずっとアメリカに頭を押さえつけられ続けてきた日本国に対して、しっかり独立し、一人歩きできるようになるということは、あのときの一方的な裁かれ方を逆手にとって、何を基準にして裁かれたのかはわかっているのだから、それに照らし合わせて戦勝国だった国々を同じ基準で裁いておかなければいけないと教えてくれるこの本に揺さぶられる。
中国大陸で捕虜にした日本人をシベリアに連れて行き、強制労働させ、非常に多くの元兵士を死なせた当時のソ連は、捕虜の虐待で「人道に対する罪」に問われるべきではないのか? と明確な視点で反論を書き連ねる。
こうなると、戦後世代の私も東京裁判で裁かれた一部始終を勉強しないといけないことになってしまう。戦争本は、本当に重い。
さて。
日本を裁いた側についてだけでなく。例えば。
昭和20年2月11日、ヤルタ会談で、ドイツが降伏してヨーロッパでの戦争が終結したあと、2ヶ月か3ヶ月したら、「南樺太と千島列島」をソ連領にするという約束でソ連が対日戦争に参加するという密約がなされた。スターリンとルーズベルトと、チャーチルの会談。もちろんヤルタの約束は密約だったが、小野寺という駐スウェーデン陸軍武官から翌月の3月には陸軍参謀本部にその内容が暗号電報で届いていた。
しかし、参謀本部でこの電報が握りつぶされ、政府側に知らされなかった。ために、日本政府は対日戦争を準備しているソ連に、連合国への和平の斡旋を依頼するという醜態を演じた。「醜態を演じた」という言葉は、この本の著者の文章である。まったく言う通り、醜態である。こんな外交はない。
この時に、日本が対米和平交渉を始めていたら原爆被害もなく、ソ連の侵略もなかった可能性があると書く。
そうしたことの責任は、まったく問われずに来たではないか、というわけだ。
アメリカを始めとした当時の敵国にも、しっかり責任を問うべきことがあり、また、戦後「何も責任を問われることの無かった軍首脳部」にも、責任を問うべきことがある。日本の国と国民が大人になって、それをすべて済まさない限り、安易に戦争が終わったの、あれから60年以上が過ぎたのとは言えないとする、持続する志がこの本には詰まっている。こういう「戦争本」を読むと、戦争はしないが一番と、まず思う。そして、正しく終えるのが非常に難しいという思いに沈む。
戦争本として、ある意味で「この先まで見ている」のでおすすめしておきます。