インド英語って、知ってる? すごいんだよ、"r"の発音をこれでもかってくらい巻くんだ、「ワン・ハンドレッド・パルセント・オッケー!」みたいに。パルセントですよ、パルセント。ほかには、スタルバックス(!)とかね。はたまた南インドの野菜スープ、Samber は(サンバーではなく)サンバルって読むとかね、ぜんぶその要領。そう、"r"を発音するときインド人たちの肉厚の舌は、口蓋の奥で、実に元気に巻きあがるんだ。それからまた、かれらは"the"の発音もかなり極端な"da"で処理していて、後に教わったところによると、いずれもヒンディの発音にかれらの英語の発音が"ひっぱられる"ためらしい。おれにはこのインド英語がおもしろくて、生来いちびりなものだから、インドを旅行しているあいだしばらくはおれもマネしてインド英語をしゃべって遊んでたんだ、ほら、関西人でもないくせに、漫才で習い覚えた大阪弁をしゃべって遊ぶようなノリでね。ところがあるとき、インド国内便の飛行機に乗り合わせたインド人ビジネスマンとしゃべっていたら、かれの話す英語がえらく「綺麗な」発音でね、しかも語彙といい構文といい、おれなんかよりよほど教養人ふうなんだ。いや、あのときはおれも教養人のはしくれとして(!)焦ったよ。
それからは夜ホテルの部屋でテレビを見ているときも注意して聞いていると、なんとインド人も中産階級の連中はけっこう「綺麗な」英語をしゃべっていて、実は、それまでおれがインド英語だとおもっていたものは、なんのことはない、インドのワーキングクラス英語だったことが判明したんだ。それに気づいてからはおれも、必要に応じて、端正な英語もつかうように気遣うようにしたものだ。もっとも、ちょっと気取って、I would like to~ とか言ってみせるくらいが関の山で、かわいいものだけれど。イギリス同様インドは階級社会、しかも旅行者なんてもともとアウトカーストだから、うかうかワーキングクラス英語をしゃべって遊んでばかりいると、潜在的な利益を逃しかねないばかりか、みすみす自分のディグニティを手放してしまいかねないことに遅ればせながらおれも気がついたってわけ。すなわち、いちびりなおれも多少なりとも知識人ふうにしゃべったほうが安全なときもあれば得なときもあるってことをインドでおれは学んだんだ。
それにしてもインドって国もかわった国だ、中産階級の連中なんて、みんなすでに数世代にわたって英語母語で、かれらときたらむしろ現地語のほうが片言なんだ。しかもインドは1947年に大英帝国から独立を勝ち取ったはいいものの、ネルーが州を使用言語別に分けちゃったものだから、公用語が十六だか十八だかにのぼり、しかも部族語まで勘定すると百以上あって、けっきょく事実上の公用語は英語なんだよ。かわった国だよね、だって一般に近代国家の成立は、標準語の成立と軸を一つにする場合が多いけれど、しかしインドはきっぱり例外なんだ。しかもインドは言語のみならず、宗教もヒンドゥー中心とはいえ、シークもイスラムも仏教もキリスト教も共存している。パキスタンやネパール系インド人とのあいだの紛争も絶えない。そのほか貧富の差ははげしいやら、識字率は低いやら、結婚において女性側の持参金がばか高く、しかも結婚式は超派手好きで大々的にカーニヴァルみたいにやるのを好むものだから、娘が三人もいると父親は破産しかねなかったり、ついでにいえば高速道路にガードレールがないやら停電が多いやら、社会問題は山積みなんだ。
しかし! ひとたび見方を変えて、もしも人類の未来を「地球規模の大混乱の時代」と位置づけたならば、むしろインドこそは人間文明の未来をいち早く体現している先進国の座にがぜん躍り出る。いや、ほんと、これ、あながち冗談ではないとおもうんだ。