サマセット・モームは三つの顔をもっていた、人気作家、一流のスパイ、そしてゲイ。それはいったいどういうことだろう? なるほどモームは人気作家をマスクに、三十年にわたってイギリス政府のためにスパイ活動をおこなっていた(1)。では、作家モームの顔は、スパイのための口実だったろうか? まさか。モームの小説はざっと四十作、戯曲はざっと三十作、そのほか散文作品も多数、伊達や酔狂であれほど大量に作品を書けるものではない、モームはまさに作家の魂をもっていた。では、逆にモームのスパイ活動は、作家としての取材目的だったろうか? それも怪しい、なぜなら取材目的だけで、命の危険さえ引き受けながら、三十年にわたってスパイをつづけられはしないだろう。いったいモームにとって、スパイであることと作家であることのどちらが真の顔だろう。しかもモームはゲイだった。ゲイであることはけっしてとくべつなことではないにせよ、謎は深まるばかりである。サマセット・モーム、かれはいったい何者なんだ? さぁ、この難問を解いてゆこう。
全体像は謎である、ただしそれぞれの部分はかなり解明されている。モームの三つの顔を順番に確認してゆこう。モームは二十世紀のベストセラー作家だった。女心を巧みに描き、恋のかけひきを慣れた手つきで書き、熱帯の白人たちの憂鬱な日々をあざやかに描き上げ、読者に人生の断片をさっと差し出す。世界を旅する、コスモポリタン的作家だ。
次に、モームは〈人気作家の仮面をかぶったスパイ〉だった。きっかけは、第一次世界大戦に赤十字として参加していたとき、イギリス秘密情報局にスカウトされたのだ。どうやらモームが英仏バイリンガルに加えドイツ語そのほかまでできるほど語学に秀で、かつまた作家という立場が、いかにもスパイ活動を隠すのに適しているとおもわれたようだ。そのときモームは四十代、その後スパイ活動はなんと第二次世界大戦中までつづき、ほぼ七十歳あたりまでスパイだった。
最後にゲイであるモームは、各国への旅に、私設秘書ジェラルド、あるいはサールを連れていった、かれらはモームとひそやかな時間を分かち合った。
このモームの三つの顔はいかなる関係にあっただろう? 仮説を立ててみよう、ヒントはモームの『月と六ペンス』(1919年)に隠されているのではないだろうか。
粗筋を紹介しよう。それまでごくふつうの証券会社のサラリーマンだった男スリックランドが、ある日とつぜん芸術の魔にとりつかれ、家族を捨て、一切の社会生活を捨て、芸術にいれあげることを宣言、家族を棄て、会社を見捨て、だからといって自分の芸術を売る努力もせずに、世間を俗物の集団とあざ笑い、芸術に評価を与えるのもそんな世間であると軽蔑し、しかしながら芸術への殉教の気持ちはまちがいなく、かれはその日暮らしをつづけ、やがてタヒチにわたり、現地妻を二度もめとり、(重婚である)、絵を描きつづけながらも、案の定、貧困と業病で命を落とす。しかし没後、おもいがけずかれの作品の評価はあがり、この上ない名誉が与えられる。そんな物語である。モームはこの物語の脇役に、一方にかれが棄てた奥さん、他方に芸術家仲間のストローヴ、そしてかれの妻ブランチを置く。語り手の〈わたし〉は、いかにもモーム自身を連想させる。作品は〈主人公が見捨てた穏健な市民生活〉と〈主人公が選んだ芸術に身を捧げる人生〉が、非和解的な関係として扱われ、両者をめぐって、〈わたし〉は主人公に、芸術談義をもちかけ、説得を試みる。だが、主人公の決心はまったくもってかわらない、倣岸無比な主人公の造型が、小説に緊張感とただならない魅力を与えている。さらにはモームは、慣れた手つきでちょっとした愛のもつれを書き加え、恋愛喜劇的なおたのしみを添えさえしている、恋愛喜劇を量産したモームならではのサーヴィスである。