異国の文化や国民性についての誤解や思い込みは、世界中である。アメリカの人気TVドラマ「HEROES」を見る限り、いまだに日本人のイメージは“冴えないファッションにメガネ”だし(そんな人ばかりではない)、ついに完結した「ハリー・ポッター」シリーズを読む限り、まずいが定評のイギリス料理も案外おいしそう(「缶づめの冷たいトマトをのせたトースト」のような例外もある)。
では、イランという国やイラン女性のイメージは?
日本人から見れば、戒律の厳しいイスラム教。サラート(お祈り)やラマダン(断食)の影響で、禁欲的な国民、窮屈そうな日常生活を思い浮かべるかもしれない。とりわけイラン女性に対しては、彼女たちが外出時にチャドル(全身をすっぽり覆うコートのような民族衣装)やヘジャブ(髪を隠すベール)を身につけているためか、身も心も保守的で不自由そうなイメージが強くある。
ところが、現実のイラン女性たちは、驚くほど明るく進歩的で、人生を謳歌することに余念がない。それを教えてくれるのが、イラン生まれでフランス在住のマンガ家、マルジャン・サトラピの『刺繍──イラン女性が語る恋愛と結婚』だ。
物語はといえば、老若取り混ぜた9人の女性たちのぶっちゃけトーク。昼食後、男たちはいつも通りに昼寝に行き、女たちは片付けをしてティータイム。サモワール(ロシア、イランなどスラブ諸国で伝統的に使われてきた湯沸かし器)で沸かしたお茶を片手に、それはそれは赤裸々なおしゃべりに興ずるのだ。
口火を切るのは、マルジー(サトラピ)の祖母で、いちばんの年長者ナーヒード。若い頃はセクシーで、3度結婚した強者である。ナーヒードは、結婚前にバージンを失った従姉妹のために、初夜に処女だと見せかける方法を考えてやる。ところが、問題の夜に従姉妹がとんでもない行動に出たために作戦はおじゃん。その失敗談を面白おかしく話す。
かと思えば、4人も子どもを産んだというのに、男性器を1度も見たことがないと悲しそうに告白する人妻がいる(夫のセックスは灯りを消してちょちょちょで終わり。子どもは4人とも娘だから)。身勝手な夫のせいで離婚され、自分はもう結婚できないと嘆く妙齢の女性もいる(離婚の顛末を読むと、泣くポイントはそこではないような……)。
そう、本書で語られるメインテーマは処女問題である。イスラムの女性にとって結婚とバージニティーは、いまなお家族をも巻き込む重い枷なのだ。とはいえ、彼女たちはその重圧の下、びくびく生きているわけではない。むしろ頭を使ってたくましく乗り切っていくところに本書の面白さがある。
ここに出てくる体験談やエピソードは、悲惨なものもあるけれど、風通しよく読めるのは、女性たちの毒舌の賜物。特に男性批判は辛辣で、ブラックな笑いに満ちている。
ムスリム男性には割礼の習慣があるが、それは割礼が精力を強くするという考えが根強くあるかららしい。ヨーロッパ帰りで、愛人生活が最高というパルヴィーン曰く、
「ヨーロッパの男性は女性を満足させられないという噂をご存知ね…でも私の体験からすると、それは間違いよ!」
「離婚したなら、もう処女でないのは当たり前でしょ! これで好きなだけセックスをしても、誰にもわからないわよ。(下腹部を指さしながら)いい、この下にはメーターなんてついていないのよ!」
また、お尻の脂肪を胸に映す美容整形をして、夫の愛を取り戻した女性のセリフもお見事。
「あのばかは、私の胸にキスするたびに、実はお尻にキスしているんだってことを知らないのよ…」
さらに、思わず「座布団、1枚あげて!」と言いたくなるような表現が、タイトルにもなっている“刺繍”。この言葉が意味するものは何かはここでは触れないが、本当に言い得て妙なのだ。
サトラピの代表作は、自身の半生を映したグラフィック・ノベル『ペルセポリス』I、II。自らが手がけた映画は、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞している。
本書は『ペルセポリス』よりさらにラフなコマ割りで描かれており、あっという間に読めてしまう。にもかかわらず、女性たちのユーモアと機転にニヤリとさせられ、かつ人生のままならなさを考えさせられるセリフの多いこと!
閉鎖的で男性優位社会への痛烈な皮肉が効いているところもいいけれど、何より、封建的な空気にがんじがらめにならず、自由に心を羽ばたかせているイラン女性たちの姿にじんとくる。不思議と自然に元気がわいてくる一冊なのだ。