これまで、一度もこの人の本を手に取ったことがなかった。早く「手に取るべきであった」ようだ。
2008年5月講談社文庫の新刊が書店に並んだ中に『国禁』という本があって、カバーがなかなかいい。
時代小説でカバーがいい場合、ほとんど中身も面白いと経験的に決めている私は、「どれ」と手に取ってみた。「奥右筆秘帳」シリーズの2冊目とある。他にどういう小説を書いているかは知らないが「この本は良さそうな雰囲気を放っているので、読んでみよう」と思った。
そうと決まれば、シリーズの1からである。もう、それはそういうものであって、見つけた本がとても面白そうでそれがシリーズ100冊目だとしても、私は、たぶん1から追いかけるタイプである。
注文して数日、手元に届いたシリーズの1、『密封 奥右筆秘帳』を読み始めてみると、骨格がきちんとしている。とてもいい。安心して、正面からまっすぐ読んでいける時代小説という気分で、このシリーズはずっと読んでいくことになるな、という感じ。まだ、決定ではない。シリーズ物は4を越えないと結論が出せない、というのが私の持論。
また新しい主人公を抱えてしまうなぁ、という思いはあるけれど、これが本読みの楽しみでもある。
時代小説でいえば、アウトローである無宿人、木戸番、岡っ引き、髪結い、同心、与力、奉行、浪人、吉原の用心棒、宿屋の主人、公事宿の居候、医師、関八州の役人、その他、駆け込み寺の調査員などなど、江戸時代の公的な役職として存在したものもあれば、時代小説の世界に上手にはめ込んだ創造の人物像もあるわけだが、ずいぶんな数の主人公を抱えてしまった感がある。
かつて愛読した池波正太郎さんの大きな3つのシリーズで言えば、長谷川平蔵は「火付け盗賊改め方の長官」でこれは奉行の範疇だろう、剣客商売の秋山小兵衛は「剣士、剣客」だろう、剣豪というのとは少し違う気がする。そして、藤枝梅安は「按摩の先生で殺し屋」となる。まぁ、多くの主人公と付き合ってきたし、付き合いを続けている人もいる。もちろん1回(1冊)で別れた主人公たちも多い。最近で付き合いの薄いのは忍者ぐらいか。昨今書店の棚にダァーッと並んでいる時代小説は「同心」を主人公にしている作品が多い。江戸の町を歩き回るので話に使いやすいのだろう。
これに加えて、海外ミステリにも多彩な主人公を抱えて楽しんでいるわけで、読書はまったく楽しい。
で、新たに仲良くなろうという主人公は、奥右筆である。江戸役職事典などを調べれば詳しく出ているがそれは端折ってしまうことにして、裏カバーの「江戸城の書類決裁に関わる」職種ということで済ましてしまおう。徳川幕府の公式書類のすべてに関わるといってもいい役職だろう。
この件を取り上げるように、と、上役に渡す。その上役の上に将軍がいる。で、上から「その件はこうしなさい」と返答が来た、と下役に渡す。こうした公式書類の流れの要のところにいて目を通しているので、何藩から幕府にどういう願いが出されているかもわかるし、武家同士の婚姻届けなどもわかってしまう。
という役職なので、書類を出す方は自分が出した書類を早く処理してもらうために奥右筆に様々な贈り物をする。そのおかげで、役職としてはそうそう高くはないが、懐はかなり潤っているというところ。そして、いわゆる文官なので剣術はからっきし駄目。しかも、この小説の時代は将軍家斉の時代で「今時剣が何の役に立つ?」という風潮である。
こういう風に「時代の枠」をきちっと決めて話の舞台を作り、その枠が歴史に沿っているという形式を私は勝手に「嵌め物」といっているが、この小説がまさにそれである。その時代、歴史上の事実としてはっきりそこにいた人々の中に嵌め込まれるのが、作家の創造した人物たちである。
主人公の奥右筆が、少し前の重大事件「田沼の息子が殺された件」に関した書類を見て疑問を持つ。
世に流布しているその事件の顛末と、人の目には触れない公式の書類から読み取れる「真相」がずいぶん違うではないか、とまず疑問を持つ。そしてその事件にまつわった者たち何家かの記録を読み比べることで、主人公の中で「事件の再構築」がおおよそできていく。それは、大きな陰謀が計画された結果だったらしいこと、しかも画策したのが幕府中枢の人々だったと見当がついてしまった。「こういうことをできる立場の人間といえば?」と思いを巡らせば、誰と誰だかわかる。知ってしまったからといって公表することもできないことは自覚している。