世の中には旅や宿の情報は山ほどあり、雑誌やトラベルガイドは勿論のことネットやテレビでも「老舗」「高級」「ラグジュアリー」と装いを凝らし、贅を極め粋を愛でる最上のくつろぎをお届けする名旅館、高額ホテルのオンパレードときている。これじゃうちには縁がないと辟易する父親が多いのではないだろうか。しかし、今度の休みに家族と遊びにいける宿として、ここにホテル選びと遊びのセンスが光る本書『パパズ ホテル 日本 (ジャパン)』をお薦めしたい。少し前になるが、さる会合でセミナー講師として著者本人をお迎えした折に感じられた、実質を大事にしユーモラスな人柄そのままに創られている、とっておきの旅ガイドブックなのだ。
一級建築士の資格をもつ建築の専門家にして、世界を股に旅とホテルを愛する紀行作家・写真家である稲葉なおと氏。かつて、地方からの設計依頼の仕事が続いた時期、現地との往復の際において、これまで日本各地を泊まり歩いたホテル・旅館・公共施設の宿などから、世の父親たちのために厳選して贈る旅ガイドにまとめられた写真と文で語る名建築ガイドでもある。 自らも二男一女の父親である著者の言葉を借りれば、旅先で子どもと思い切り遊びたい。家族と心を深く通わせたい。できればちょっと、父親らしいところ、大人の男らしいところを見せてやりたい。家族旅行の計画を妻まかせにしないで、たまには自分の目で選んだ宿に家族を案内したい、となる。
そんな願いをかなえる「パパズ ホテル」を建築家の眼でセレクトし、すべて自ら泊まって撮ったリーズナブルで印象の深い78軒の紹介である。
例えば、「ホテル顔負けのカッコいい公共の宿」の章では、神奈川県秦野の丹沢山系にある樹齢200年という樅の自然林に囲まれた「丹沢ホーム」を採り上げている。建築家原広司の設計による宿の大きな窓からは、居ながらにして野鳥観察ができ、専用の渓流釣り場を持つ。鹿・熊・ムササビなどが生息する丹沢の大自然に抱かれ、手ごろな料金で貴重な時間が過せる場所となっている。
また、「日本ならではの洋館、和建築ホテル」の章からは、明治の竣工で金沢に残る近代和風住宅の遺構のひとつ「カメリアイン雪椿」も紹介されている。ヨーロッパの古い邸宅を連想させる家具や小物、照明器具と共に、地元石川産の戸室石を使った道具蔵はほぼ昔のまま形でラウンジとなっている。グルメのオーナー夫妻が経営するB&B(ベッド&ブレックファスト)タイプの小さなホテルだ。
異色な所では、「東京観光におすすめの変わり種ホテル」という章もある。東京築地本願寺に建つ「第一伝道会館」、門の前に建てば堂々とそびえ立つタマネギ屋根の荘厳な建物に、「本当に泊まれるの…」という家族の声が聞こえそうなホテル。明治から昭和に掛けて活躍した独特なスタイルを持つ建築家伊東忠太の設計で、インド仏教様式にボロブドゥール遺跡の意匠を取り入れた寺院の外観は摩訶不思議な動物や妖怪の彫刻が随所に見られ、ライトアップと共に中東の大都市にいるような幻想に包まれる。著者曰く、うまいものなら築地、泊まるなら本願寺という訳だ。
そのほか、「親子で楽しめる、不思議宿泊体験」・「グルメ御用達オーベルジュと料理旅館」・「足回りGOODな建築家ホテル」といった具合で、巻末には公共の宿にまつわる素朴な疑問から、家族の前で披露できる建築のウンチクまでフォローした爆笑Q&A集など、一味違う旅と宿に関わる実用情報が満載である。
普段、建築物に接する機会は山ほどあるが、生活感覚の中で空間と気分を交感するという意味で、名建築を賞味する事は中々適わないのではあるまいか。早い話がシドニーにあるオペラハウスのファサードの威容を確かめたり、ル・コルビジェの名作であるロンシャン礼拝堂のカニの甲羅を模した厚い壁に触れる事はできても、泊まって食事をしたり、ぼんやり窓から外を眺めたりして、一定の時間と空間を独占する事はできない相談である。やはり、名建築を内側から賞味できる「ホテル」という存在のありがた味に気付かせてくれる本書の視点は貴重だと思われる。
因みに、この本の腰巻に書かれている「こんなパパにもおすすめです。」のリコメンド・コピーが振るっている、ちょっと長くなるが紹介すると―
「風車に陶然となるメルヘンパパ、日本庭園に萌える思索パパ、いつも古建築で時間トリップパパ、釣りオヤジ万歳!な渓流パパ、図工だけ成績5だった一芸パパ、ワイン=人生、なセ・ラ・ヴィ・パパ、打たせ湯にこだわるお疲れパパ、今も七つ道具持ってるスパイパパ、今も忍者志望な隠密パパ、望遠鏡にキュン!となる天体パパ、ドラムセットに血が騒ぐロックパパ、マンボウとお話したいほんわかパパ、屋敷でいばりたい殿様パパ、現役バリバリ・スキーヤーパパ、現役バリバリ・スケーターパパ、そして孫に目がないグランパにも…。」
さあ、今度の休日は本書で仕入れたホテルと旅の展開で、是非父親の株を上げて戴きたく。