そういうことのために、私は常に旅立つ前に、行き先の地図を確かめておくのを習慣にしている。その程度に地名と地図に関心がある。
また、窪地なので「ナニ窪」という地名がついているのだけれど、全国的に窪は多く「久保」という文字を充てているのがわかる。
窪のままだと、低地でじめじめしているように思われて、不動産的には値が上がらないということもあるそうだ。このことはこの本でも言及していた。
それと、平成の大合併だけではなく、いわゆる廃藩置県以降の日本では「国家的」に何度か大きな合併の時代があったようで、その歴史も教えてもらえる。
そうした国の方針に従って合併した場合の、新しい自治体の名前を付けるときに「二つ併せてしまう」とか「一文字ずつとる」とか、両方に共通する「海や山」から持ってくるとか、合併後の命名のパターンを分類していたりしてこれがなかなか楽しめる。いかに「能がないか」という意味でも楽しめる。住民投票をしておいて、一番多かった名前ではなく自治体の誰かが元もと付けたかった名前を付けてしまう場合もあるのだ。
条里制の名残のある地域が国内にはいくつもあるが、番地の付けた方が行ったり来たり型や、列ごとに南なら南を一番と決めている場合その他があると教えてもらった。地方に取材に出かけて、どうしてここの番地がわかりにくいんだ? と思ったことが何度もあるが、それで謎が解けた。南北関係からこうしなければいけない、という決まりはないらしい。
私は、歴史的な地名、町名を廃止して、だだっと東西南北を付けてしまうような地名のありようが大嫌いだが、公共的にそうしなければいけない必然性はないらしい。
この著者が、そうしたことによって歴史的地形が消され、地形から来た地名が忘れられ、あるいはかつてそこがなんだったかわかるはずの地名が失われるのを残念そうに書いていて、好感が持てた。主張はしていないが、著者の思いは感じ取れる。
時代によって地名が変わるのはありうることだとしても、もう少し思いを巡らして付けてもいいのではないかと漏らしている。私も、全く同感。
少なくとも、全部ひらがなや、カタカナの名前など、不動産屋の支配地みたいで嫌だなと思う。そういう思いを持つ私にはしっくりくる本だった。
最近の駅名や、市町村名のありようが「腑に落ちない」という人には、ぜひおすすめしたい。江戸時代からある地元の通りの名前に、カタカナの名前を付けるのが現代的で洒落ていると思う人には不向きの本である。