『曠吉(こうきち)の恋 昭和人情馬鹿物語』は、昭和の初期、巣鴨の水道屋の次男坊、曠吉をめぐる五人の訳あり女との人情恋物語。第一話は、「つまずきお妻」という話。のっけに出てくるのが、巣鴨名物、とげ抜き地蔵に水子地蔵。この水子地蔵の石段でつまずいて、乱した着物の裾から赤い蹴出(けだ)しを見せたのが、つまずきお妻。やがて曠吉と絡んで来る、訳あり女の第一号です。
そして、この町にあったのが<癲狂院(てんきょういん)>に<廃兵院(はいへいいん)>。癲狂院は、癲癇の癲と、狂人の狂をとってそう呼んだ、頭のおかしい患者が多い<巣鴨保養院>の俗称。廃兵院は、戦争から負傷して戻った兵士のうち、主に手足が失(な)くなったり、失明したりして、もう兵隊には戻れないものの病院。お国のために戦ったのに、<廃兵>という呼び方はいくらなんでもないだろうと、曠吉は子供心に怒ったという、そんな建物が散在する奇妙な佇まいの町「巣鴨」で、この物語はじまるのです。
さて、小説家志望でお人よしの曠吉が、女のことで自分のふがいなさに落ち込んだ日に決まって駆け込むのは、三味線の師匠、お涼の家。お涼は、昔、自分の父親の女だったのではないかという謎の存在で、やはり立派な訳あり女。そんな男と女の不可思議な性(さが)、そして、粋な駆け引き、得も言われぬ人情や、情緒。このあたりがこの小説の抜群の面白さとなって、私たちに迫ってきます。
それを、著者は、「あとがき」でこんな風に言っています。十代の時、いまに(川口)松太郎さんみたいな話を書いてみたいと思った。いまでは<半死語>になってしまった、あの頃の<いい言葉>、「仔細(しさい)があって縁が切れた」、「ここで見ぬふりしたら冥利(みょうり)が悪い」などと言った、大正の言葉たちに陽の目を見せてやりたい、と。そして、松太郎さんへのオマージュと同じくらいに拘(こだわ)ったのが都々逸(どどいつ)。「曠吉(こうきち)の恋」は、都々逸の可愛らしさや、色っぽさや、切なさへの挽歌かもしれないと書いています。
例えば、私は、あの頃の<いい言葉>を感じる、こんな表現が好きです。
時雨が走っていった後の、庚申塚の昼下がりである。お涼に風呂を立ててもらって、こざっぱりした浴衣に着替え、長火鉢に凭(もた)れて、曠吉はちょっとした間夫(まぶ)気取りだった…とか。