おまえは一体何を言い始めるんだと叱られるかもしれないのだが、私は一度だけ、天使を見たことがある。
私は一時期、健康上の理由で薬を常用していて、その薬の成分がアルコールと相互作用を起こすらしく、酒を飲むと泥酔を通り越して、前後不覚に陥ることがあった。帰途の道端で眠り込み、気がついたら警察署のロビーに寝かされていたりした。
1月のとても寒い夜のことだ。友人と東京の新橋で飲み、例によって正体を失い、とっくに終電も過ぎた時間にビルの谷間の路地で一人目を覚ました。タクシーで帰る金はあるのだが、携帯電話とかばんをなくしてしまっていた。探そうにもどこに当たればいいか分からない。私はただ、未明の新橋をうろうろしていた。
そんなとき、見た目30代後半~40代の男性が近づいてきて、「あなた、このケータイを探しているんじゃないですか」と言った。極寒の中、外套もまとわず紺色のスーツだけを着た彼の右手には私の携帯電話が握られていた。私は深く感謝し、世の中にはいい人もいるもんだと思った。
では、かばんはどこに行ったのか。私は再びあてもなくうろうろ歩き回り始めた。しばらくすると、くだんのスーツ姿の男性が通りの向こうに現れて、こちらに向かって歩いてくる。 「このかばんも、あなたのじゃないですか」。彼は布製のトートバッグを手にぶら下げて、私のほうに差し出すようにした。「ああ、それも私のです。本当に助かりました」。私は礼を言い、彼の姿が見えなくなってからも、何度も何度も闇に向かって頭を下げた。
しかし、後で冷静になってよく考えると、たとえ道端に携帯電話とかばんが落ちていた(それもバラバラに)として、泥酔者(大勢いる!)の中から私を持ち主だと見極めるのは不可能に近い。
そう、私は彼こそが天使だったと思っている。天使といえば背中に羽を生やした半裸の子どもを思い浮かべるが、普段は地上に降り立ち、紺色のスーツを着て、夜の飲み屋街を歩いていたりするのではないだろうか。もし天使が困っている人を助けようとしても、宙を飛ぶ子どもが目の前に現れたら、いくら信心深い人でも引くだろう。ごくありふれた格好で、ごくありふれた表情をして、天使は私たちの身近にいるに違いない。
もしかしたら……だが、私にはあの夜、そのまま凍死してしまった未来があり、そんな世界もどこかに存在するように思える。人生は無数の「未来」へ常に枝分かれを続けている「今」の積み重ねだ。たまたま今の私は天使に導かれ、徳俵一つでこの世に踏みとどまった。きっと私にはまだ、「やるべきこと」があるのだろう。一体何かは知らないが、そう考えると、とても浮き浮きした気分になる。