「不確実の法則」というタイトルがついたこの本は、イラストレーターのマイラ・カルマンがニューヨーク・タイムズに月に一度連載していた絵日記をまとめたものである。
マイラ・カルマンはトーキング・ヘッズのジャケットやベネトンの雑誌「Color」などのデザインで一時代を築いたグラフィック・デザイナー、ティボール・カルマンの妻だったイラスレーターだ。99年にティボールが病死するまで、二人で様々なプロジェクトを手がけている。
彼女の名前を知らなくても、そのイラストはどこかで目にしたことがあると思う。ユニークな造形はしばしばシャガールに、鮮やかな色使いはマティスにたとえられる。でも、二人のどちらにも似ていない。とても自由で知的、洒脱な雰囲気がいかにもニューヨークの女性という感じがする。
そんな女性の描く日常だから、2006年の五月から翌年の2007年の四月までの日々をイラストと同じくらいチャーミングな書き文字で綴ったこの絵日記も一筋縄ではいかない。
若草色のタイトルページで始まる五月の章は、いきなり「心に思い浮かんだ全てを描くなんて不可能だわ。この日記を始めることなんか出来ない」とい宣言で始まり、彼女は絶滅してしまったドードー鳥を描く。
更に真理を追究したスピノザも今はいないと続く。私たちにはスピノザの剥製すらないのだという。そうして、「でも私はパブロフの犬の剥製ならば見たことがある」と、話はロシア旅行に移る。かわいそうなパブロフの犬は、かつて特権階級の屋敷であっただろう立派な館をそのまま使った博物館に展示されている。ボルシェビキ革命の到来により、そこに暮らしていた優雅な人々は追われてしまった。
パブロフの犬の次のページは、革命により消されてしまった要人たちの肖像画の数々だ。次のページには、赤い椅子に腰掛けた足の長い少年が描かれている。蝶の本をめくっているこの少年は、若き日のウラジミール・ナボコフだ。この頃の彼は、ロシアから亡命することになるなんて思ってもいない。マイラ・カルマンの母親の一族も、同じようにロシアから逃れてアメリカにやって来た。ここで、彼女のルーツが明かされる。
最後のページ、見開きいっぱいに描かれているのは、マイラの母親が描いたいい加減なアメリカ地図である。丸い地形から象の鼻のように伸びたところに「ニューヨーク」と記してあるその地図は大半の州が書き込まれておらず、「ごめんなさい、残りは分からない。ありがとう」と母のメッセージが走り書きされている。
こんな風に気ままに、思いつくままに、好きなものを集めてマイラ・カルマンの絵日記は始まる。思考とイメージ、思い出が交錯する。「意識の流れ」をイラストにしたら、こんな感じだろうか。セシル・ビートンの部屋。旅行の時に持っていきたいグリーンのプリーツスカート。道端にうち捨てられたソファの数々。パリのホテルにあったピンクのベッド。ピナ・バウシュのダンス公演の舞台。パーティに出てきたお寿司。ラデュレのパッケージ。マイラ・カルマンの手にかかると、何もかもが美しい。
イラストだけではない。刺繍で綴られたページもあるし、彼女が街で見かけた人々を撮った後ろ姿の写真もある。エルミタージュ美術館で二度遭遇したという女性の後ろ姿がいい。いつも白髪をきれいにカールして、巨大なリボン型のバレッタで留めている。カルマンもよっぽど気に入ったのか、彼女の後ろ姿をイラストに書き起こしている。
そんなお気に入りの景色の中に、家族の思い出や喪失の記憶、生きていくことの悲しみが織り込まれている。マイラ・カルマンはエッセイストとしても一流だと思った。
この絵日記を、私は夜寝る前に少しずつ、大事に読んでいこうと思っていたのに、あまりに面白く、細かなところまで愛らしいのに夢中になって、あっという間に読み終わってしまった。一日一個ずつ食べていこうと誓った可憐なカップケーキを一日で食べ尽くしてしまったような気持ちだ。
ニューヨーク・タイムズ連載時に熱狂的なファンを生んだというこの連載は、昨年一旦終わった後、今年また再開する予定があるという。私はその日を心待ちにしている。この本の出版イベントのために作曲され、一度だけ演奏されたという、ハンサムな新進作曲家ニコ・マーリーのペンによる短いオペラ「不確実の法則」もいつか聞いてみたい。