2006年10月、出光美術館において開館40周年記念の「国宝 伴大納言絵巻展/新たなる発見、深まる謎」が開催された。作者が平安後期の宮廷絵師・常盤源二光長(ときわげんじみつなが)とされるこの物語絵巻は、上・中・下巻が一堂に展示され、見事な人物表現や情景描写、ドラマチックな場面転換の巧みさとミステリックな展開などが的確に描かれている名品である。最新技術を駆使した高精密撮影のディテール分析を含む絵巻の謎の解明と、新たな発見も提示された好企画展であった。
因みにわが国で有名な絵巻物というと、この「伴大納言絵巻」を始めとして「源氏物語絵巻」、「鳥獣人物戯画」、「信貴山縁起巻」、「吉備大臣入唐絵巻」、「粉河原寺縁起絵巻」などが知られている。ボストンの美術館に収まっている「吉備大臣入唐絵巻」を除く全てが国宝に指定されている傑作ぞろいである。
これらの絵巻物は、今では収蔵美術館や各社発行のカラー版『名宝日本の美術』や『日本絵巻物全集』などで機会を捉えて見て戴く外はないが、中でも、この貴重なナショナル・トレジャー・アート「伴大納言絵巻」のすばらしさは、従前たる穏やかな古美術鑑賞法のスタンスを許さない存在ゆえなのである。
それは、この絵巻物の扱っているテーマが、平安時代に京都で実際に起きた応天門放火事件に政治的スキャンダルが絡まった物語だからであろう。
因みに上巻部分における冒頭からのシークェンスを追って見ると、
・応天門の出火で火災現場に出動する検非違使の一団、そして市中から駆けつける群衆。
・押し寄せる人波の先の朱雀門を抜けると、猛火につつまれて炎上する応天門を中心にした迫力満点の火事場シーン。
・風下へ火の粉が舞い、混乱して逃げまどいつつも見物する庶民たち。
・対して清涼殿側につながる会昌門では、応天門の火事を反対側の風上から見上げる貴族・官人たちのひしめき合う群像。
・次に一転して、静寂に包まれた霞の中から現れる、清涼殿東庭に佇む黒い束帯姿の後向きの貴人。
・その先にある清涼殿奥の清和帝と藤原良房の密談、外側の広縁で室内の二人を窺う貴人。
所謂、大和絵の特徴的な「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」・「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」・「異時同図(いじどうず)」といった形式的な画法や平板な解説ばかりが鼻に付き、今までこの手の絵巻物を敬遠されていた向きにも、ミステリー本位の興味の対象としても充分な手応えがあると思われる。実は、この絵巻物には70年も前から論争が続く謎があるのだ。そして、その謎解きの面白さを知る契機になったのが、今回ご案内の本書なのである。