今年で結成なんと25周年(!)となる、老舗かつ現役バリバリのロックンロール・バンド、カーネーション。所属会社の都合により3人編成となった2003年のアルバム『LIVING/LOVING』の冒頭、『やるせなく果てしなく』の歌いだし、「偶然や必然だけじゃ測れないだろう? /こんなこときっとありえないとおれは思ってた」の歌詞とメロディーにガツンと不意を打たれて、胸が熱くなって思わず落涙したことを昨日のことのように覚えている。そのまま滅多にない能動性を発揮して抽選に応募し、半蔵門のTFMまで公開録音ライブを見に行ったことも良い思い出だが、その2年後に同じ場所で深夜ラジオのパーソナリティを務めることになるなんてその時は思ってもいなかった。といった風に、カーネーションについてならアルバムごと、楽曲ごとに延々と話が出来るわけだけど、『宇宙の柳、たましいの下着』は、そのカーネーションを率いる直枝政広の、こんなものじゃないレヴェルで延々と繰り広げられるレコード愛・音楽愛の一大宇宙である。
リスナー歴40年以上にわたる直枝政広がこれまでに買い集め、聴き漁ってきた膨大な音盤が、冒頭から丁寧な脚注&オリジナルのジャケット写真とともに、ページを溢れんばかりに並べられてゆくこの本の迫力は無類のものだ。この迫力はしかし、その物量の嵩ではなく、それがすべて直枝政広という個人の記憶と経験に結び付けられて語られていることに由来しているだろう。これはカタログ本では全くなく、ここに取り上げられているディスクの一枚一枚には、それらが直枝政広に買われた場所と時間とその時の生活が刻み込まれており、直枝はそのレコードを手に取って語りながら、彼の頭の中にひろがる「勘違いの音楽史」のなかを旅してゆく。
学校帰りの東銀座駅通路、紙コップ式の自動販売機のコーラを我慢すると、「何かしらレコードを買うことができた。ちょっと前のシングル盤なら手に入った。」という、銀座ハンター数寄屋橋店での中古盤漁りからはじまり、それこそジャブジャブと音盤に浸かることで彼が身につけた見識は、江戸の芝居好き衆からつながる街っ子の人工=自然が漂っており(この本の冒頭が居残り佐平次のエピソードからはじめられているのは偶然ではないだろう)、彼はシングル盤の真ん中に空いたピン・ホールから逆さまに映し出された世界をうっとりと眺めながら、子供部屋で何時間もの時を過ごすだろう。小さな針によって拾われ、アンプリファイされた音の像を結んで外界の景色を想像し、その妄想は乱反射しながら、彼の作る音楽に深く遠い焦点を与えることになるだろう。世界から一旦切れ、ぐるっと回ることであらためて世界の本質と直結しようとする、直枝政広の「勘違いの音楽史」……こういったタフな妄想が、最近のヒットチャート曲には足りなすぎるように思う。
しかし、音楽がレコードという物質に刻み込まれていた時代が終ろうとする現在、このような場所と時間に直結した音楽との出会いの喜びは、おそらくもう二度とこのような熱さ・厚さで語られることはないように思える。そのような意味でも、二〇世紀のポピュラー音楽史の最後の30年を分厚く切り取った貴重なドキュメントとして、多くの人に読んで欲しい一冊だ。付録の弾き語りCDも素晴らしい!