本の最後に収められた書き下ろしの一本に、かつて細野晴臣が発した「田舎とは都市の影にほかならない」ということばが取り上げられている。ともすれば田舎を高みから見下しているようにも受け取られかねない発言の真意は、しかしそんなところにあるわけではない。今よりのんびりしていたとはいえ、高度経済成長期の慌ただしい都市生活を享受しながら、牧歌的な田舎の風物やそこでの暮らしに思いを馳せた音楽を作ること。「田舎とは」のことばは、自らの音楽に対するそうした矛盾や傲慢を問い直して得た、醒めた認識のあらわれではないかと著者は指摘する。細野が少なからず影響を受けたはずの、『Songs』に紹介される70年代のアメリカン・ロックの面々も、そのルーツをアメリカ南部に探しながら、同じような認識を持って彼らの音楽を作っていたのではないかとも言う。 ある方角への、熱く狂おしい視線と醒めて思慮深い視線。そうした「矛盾」に苦慮した末の大柄な調和が、陰影を深くし、奥行きと緊張感を持たせて優れた表現に達するというのは、とくに音楽に限ったはなしではない。
「カントリーを知らないロック・ファンにカントリーを聴かせたい。ロックを知らないカントリー・ファンにロックの楽しさを知ってほしい。それはロック・ファンとトラックドライバーを集めて話し合わせ、お互いを理解させるくらいに大変なことだけれど」
わずかな期間だがバーズのメンバーだったグラム・パーソンズは、自分が引き受けた宿命ともいうべき「矛盾」についてこう語ったという。ドラッグのオーヴァー・ドースによる心臓発作で1973年に帰らぬ人となったのは26歳のこと。背負うにはあまりに大きく、また若過ぎた。
「当時もっともロックからは遠く、保守的な音楽と見なされていたカントリーに価値を見出すという行為は、まさに時代の風と戦うことにほかならなかった」と著者が言うように、ロックのスピリットは保守とは馴染まない。馴染まないと思われていたカントリーの中にグラムはしかし普遍を見ていた。ありふれた日々の営みを、ともすれば手垢の付いたことばと、保守的とも聞こえる土臭い音に乗せて唄われる歌の奥に音楽の精髄を見ていた。逆風の中にあって、その視線の射程の深さが凄い。
他界する少し前、ラジオ番組用にロングアイランドで行われたライブの模様を収録した『ライブ1973』にグラムは、当時恋仲で、亡きあと30年以上ものあいだ、ずっとデュエットのパートナーを探し求めているかのように見目の麗しさは相も変わらず第一線に美しい声を放ち続けているエミール・ハリスと絶妙なハーモニーを奏でている。是非聴いて欲しい。そこにはロックとかカントリーとかのジャンルを云々することが無意味だと思わせる達成がある。哀しさや優しさ、美しさと、力強さや激しさが程好くルーズな音の中に同居していて、聴く度に身体の芯がひりひりして背筋が伸びる。
ストーンズの名曲のひとつ、1970年の『スティッキー・フィンガーズ』に収められた「ワイルド・ホーセス」は、次のアルバム『メインストリートのならず者』で打ち立てたストーンズ流の南部サウンドに相当な影響を与えたグラムに、キース・リチャ―ズが捧げた曲だ。「アメリカ南部の豊潤な音楽を体現していたグラムを荒馬にシンボライズさせて、いつか俺たち(ストーンズ)も南部音楽を手中に収めるぞといった願望が聞こえてくるかのように響く」と著者が言うように、静かで力強い音の中に、大西洋を挟んで育まれた友情とともに彼らの音づくりの意志が織り込まれている。アリシア・キースやノラ・ジョーンズらいまや世界的な歌姫たちにも唄われて、道半ばどころか初発にして斃れたグラムの魂は成仏するのをためらっているのか、彼らの豊かな歌声に包まれてそこらをゆらゆらさまよっているかのようでもある。