新聞記者でもある著者のデビュー作は、ずばり、『フカシギ系。』。以来、『ミステリアルカレンダー』『盗まれたあした』『落ちてきた時間』『フカシギ・スクール』など、タイトルだけでも、摩訶不思議である。著者は、作品の中で「フカシギっていうのは、十を六十四回かけた数なんだって」と語らせている(『落ちてきた時間』より)。
さて今回、著者は、フカシギな純文学を出版した。
ぐーるる。
声が落ちてきた。
書き出しから、ばりばりのフカシギだ。
ところが、今回の不可思議文学は、真面目に深い。今までの著者のフカシギ系は、軽快でくすりと笑えるものが多かったが、この作品はなんとも心に染みて、読後、心の奥に宵の澄んだブルーの世界と「天空にともったぼんぼりみたい」な月がいつまでも残る。
読み終えて、この本のタイトルカバーに再び目を移したとき、村上龍の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』を思いだした。内容は全く違う。けれど、青春の透明ではかなげな、同じ青さを感じた。
主人公の裕太の耳には、幼いころから小鳥の鳴き声と共に「特別の声」が聞こえてくる時がある。メッセージを伝えてくれる、なぜか懐かしくて温かい声。
この世に生まれ出る前に父を交通事故で亡くした裕太は、母と姉と三人暮らし。しかし、最近、母のつとめるレストランの店長が、母に急接近。もしかすると、再婚するかもしれない。けれども裕太は、写真でしか見たことのない天国の父だけを父親だと思いたい。口べたな少年の心は揺れる。
そんなとき、親友の一騎が小鳥を飼うことになり、裕太は、「五月の青空がそのまましみついたような体の色」をしたセキセイインコ「プルー」に出会う。かつて父が可愛がっていた小鳥と同じ種類と名前だった。小鳥を通して裕太に再び「特別の声」が頻繁に聞こえだす。
〈元気だったか、ぼうず〉と、まるで父親の口調かと思えば、ある時は少年の声で、大空を自由に飛びたいという。一体、この声の主は誰?プルーは、幸せの青い鳥なのか?
不可思議な深さ、青さに浸れる作品。