日高敏隆さんには「残念ながら」お会いしたこともないし、授業を受けたことも講演を聴いたこともないが、私はこの人を「先生」と決めて、ずっと本を読んできた。生物学、あるいは動物行動学の先生と決めて、本が出たら必ず読むようにしてきた。その方面の知識だけではなく、大きく言って科学という分野のものの考え方をも教えてもらってきた。昆虫と猫と人間を、同じ平面で考えるのが興味深い。
デズモンド・モリスの『裸のサル』(現在は角川書店/角川文庫)の訳者として知ったのが初めかも知れない。『鼻行類』(現在は平凡社/平凡社ライブラリー)という、これ読まなきゃどうしようもないでしょう、という本の訳者でもあり、こういう本に関わる人だから、本人も面白いに違いないと思うようになった。
私はこういう風に、自分の好きな分野、お気に入りの課目ごとに先生を沢山持って人生を楽しんでいる。このやり方は非常に便利。各分野の一流の人を先生にして、好きな課目のことだけを楽しく学べるんだから。まぁ、こっちは素人だから、論文とまではいかないにしても、先生が気に入れば学術書まで探す、というのが「勝手な生徒」の楽しみ。しかも、レポートなんか出さなくていいのだから大喜び。
さて。
私は田舎育ちで、自分の家の庭にも昆虫が多くいたし、近所の畑のキャベツにモンシロチョウが来ることも子どもの頃に認識していた。私はチョウが今でもそれほど好きではないが、ただ「チョウ」という見方ではなく、アゲハチョウが来ている、モンシロチョウが来ている、スジグロチョウが来ている、シジミチョウがいるぐらいは子どもの虫好きレベルでわかって見てきた。
そうして成長する中で、日高先生の本を読んで「あ! 科学する人はそういうことを考えるのか? そういうことに気づくんだ!」と思ったことがあった。
それは、モンシロチョウのオスがモンシロチョウのメスをどう認識して交尾を迫っていくのか? という疑問を持ったというのを読んだ時だ。その時、この人を先生にしようと思ったのだ。
この選集の1は「チョウはなぜ飛ぶか」という副題があって、チョウについての文章が載っている。これまでに日高さんのチョウ関連の本は多く読んでいるが、この本で面白いのは、チョウを対象にした研究の過程を紹介していること。
チョウは、飛ぶルートが決まっているのか?
それは子どもの頃アゲハチョウが飛来するのを見ていて、近所の地形の中でいつもほぼ同じコースを飛ぶことに気づいた時に抱いた疑問だった。どうも同じコースを飛ぶらしいことを何度も確認し、あっちからこう来て、ここからあっちにこんな風に飛んでいくと調べてから、それはどうしてなのか? と考えるのである。アゲハチョウの季節を通して観察していると、春と夏ではそのコースが少し変わるということも発見する。
再び。それはなぜか? である。
子どもの頃の疑問を成長してから研究し、その後も教授となってさらに研究を続ける。その中の、読んで面白いところをまとめて読ませてくれるのだから楽しくてワクワクしてしまう。観察し思考し、錯誤もあり、というところが面白いので、ここには、著者たちが得た結果は書かないでおく。
あとがきに、ただ「こうしてこうなった」ではなく、こういうことを観察したとき、こう考えて、次にこういう実験をしてみて自分たちの考えを確認しようと試みた、という実験過程を意識して収録したと書いている。
チョウのオスがメスを認識するのは「形か、色か、匂いか」、その他の何かか?
形が見えても匂いが届かないように、例えばガラスケースでメスを覆ってしまう。それでもちゃんとオスが集まってくる。もしかしたら匂いの消し方が不完全ではないかと、徹底して匂いの飛散を防ぐ工夫をしてやってみても、オスは飛んでくる。
見えているのだから、形か? 形らしい。と考えて、モンシロチョウなら、白い紙でほぼ同じ形を作ってヒラヒラさせてみることができる。しかし、紙のチョウには見向きもしないオス。とすると単に形ではない、先の実験で匂いでもないことはわかっている、さてなんだろう?
というような展開がまとまって読める。
実験に参加して、そばで日高さんの話を聞けたらどんなに楽しいだろうと想像しながら読んだ。
単に虫好き、生き物好き、というところから一歩分ぐらい「科学するとはどういうことか」に入り込む、あるいは「生き物の行動を理解するとはどう理解することか」を知る本として、ぜひ読んで欲しい。全8冊の予定だというので、たっぷり楽しめることになる。
チョウ嫌いの人が多くいることは知っているが、この本はそういう人にも「知ることの喜び」をもたらす本だと思う。
2007年の12月に選集の1と2が出て、そのあと2008年の1月から6月まで1冊ずつ全8巻ということになるそうだ。