「三人」とは、金子光晴、森三千代、森乾(けん)のことである。乾は金子光晴と森三千代の一人息子。三人はそれぞれに戦争を語り、家族や人類を語る。語りは声を消して詩になった。戦争がこの三人に詩を書かせた。
父と母にとって戦争は子を奪うもの。母にとって子は、幼い頃からの対等な話し相手。その子が戦争に奪われる時期が刻々と迫っていた。
戦争に直面しているのは子の乾である。戦争に直面している子を通して、父も母も同様に戦争に直面していく。そんな子の描く戦争は怖い。逃れるすべがない。それは自分に降りかかってくるものだから。
詩集「三人」の原本は、光晴、三千代、乾の三人が疎開先の山中湖で書いた詩を、光晴が清書した手書きのものだったという。それがどうして古書市で金子光晴研究家の原満三寿さんに発見されることになったのか、あとがきにも詳しくは書かれていない。終戦から60年以上たって、誰も戦争をリアルに語れなくなってきたときに、この詩集がひょっこり世に現れたのも不思議なことだ。
1944年の秋、19歳の乾に召集令状がきて、三人は山中湖への疎開を決意する。湖のほとりの旅館の別棟で1年以上、光晴と乾は読書、作家の三千代は原稿を書いてすごす。読書家の乾は、両親から言語学者、考古学者と呼ばれている。積み上げられた本の向こうからは、今にも戦争が召集令状を持って、乾を連れ去ろうとやって来そうだ。父と母はそんな乾の、明日の不在が心配でならない。こたつに知識をためこんだ息子は、三人の現在が永遠に続くことを願う。三人を取り囲む自然は、今のところ戦争を遠ざけてくれている。だが光晴には、のっそりと雪をかぶって立つ富士山が、召集令状を持ってやって来た戦争に思えるときがある。
雨はやんでゐる。
ボコのゐないうつろな空に
なんだ。おもしろくもない
あらひ晒しの浴衣のやうな
富士。
三人はずっと離れ離れだった。父は母は子を日本に残したまま、何年間も外国をさまよった。帰って来て何年かして戦争が始まった。最初は吉祥寺にある自宅に閉じこもっていたが、光晴自身も身の危険を感じるようになって山中湖への疎開を決意する。世界から隔離されて、三人は三人きりになる。だから、こんな状態が永遠に続けばいい、と乾が詩に書くのはわかる気がする。三人は荒地に固定されたカメラの三脚のようだ。だとするとこの詩集は、その三脚に取り付けられたカメラということになる。カメラにはフィルムがそのまま残されていた。フィルムは現像され、プリントされてこうして本になった。
詩集は古書市場の喧騒の中で目を覚ました。解凍された時間。そこには今までの戦争の記録とはちがう生々しい感情が声になって残されていた。言葉というよりは声であり、余白にもぬくもりが感じられる。戦争が三人の声を通してぼくに伝わってきた。