茶道のなんたるかを知っている人、かなり茶道に興味を持っている人向けに書かれているといっていい。タイトルから察することができると思うが、小堀遠州がともにお茶を楽しんだ歴史上の有名人たちとのエピソードという内容である。
国内の旅に出て、大きな寺や有名な庭園で、小堀流という名を何度も聞いてきたので、実のところ、小堀遠州の庭造りの本を探していたのだ。庭を読み取れたらどんなにいいかと思っている。どういう発想で、どう造り、どこを見れば庭造りした人の思いを読み取れるか、それを知りたいと思っている。
江戸時代に造られた庭をじっと見ていて、石をどう見立てるのか、小さな流れは何を意味しているのか、あるいは、わざとジグザグにした石橋は何のつもりかなど読みとれたらどんなに楽しいか。庭に面した長い廊下を移動しながら眺めていると、廊下の自分がいる位置によって見えてくる庭の景色が大きく変化する庭、といったものもあるので、本当に、庭造りした人の創造力を読みとりたい。
というようなことを思い続けているのだが、この茶道関連の方を見つけてしまったので、小堀遠州の人物像を知るために読んでおこうと思ったのだ。
いざ読んでみると、茶道の遠州流を創り上げた人としての交友録で、これが意外な収穫。とても面白い本である。ただ先に書いたが、茶道にまったく興味のない人は楽しめないかもしれない。それでも、歴史好きならちょっといい話を沢山見つけることができる。
小堀遠州が茶人となってから交友した将軍や大名、公家、僧侶、大商人その他と、茶を通してどういうつき合いをしたか。この本で紹介している50人の茶友の中には、秀吉を初めとして、千利休、古田織部、まぁこの二人は大師匠・師匠だから交友ではないが、とにかくビッグネームがいて、他に家康、秀忠、藤堂高虎、織田有楽、家光、伊達政宗、こういう人々とお茶を通じて交友があったというのを読み進むと、茶道というのは江戸時代の文化人にとって重要な「教養、文化的素養」だったのだとわかる。
私は、正式な茶会などには一度も出たことはないが、茶会があればその記録があって、その中で誰と誰が客として招かれたということが残されている。
しかも大切なのは、どういう掛け物を下げ、花は「何をどう生けたか」、茶道具「棗(なつめ)、茶杓、茶碗、水差し、釜」などが、どういう名品だったか、あるいは何という人の作品か、そうでなければ、その日のその場の雰囲気をどのように醸し出す役を果たしていたという記録があるのだ。
そして、そこに呼ばれた人たちは、茶会に招いた人の「しつらいの工夫や見立て」を理解し、器を愛で、友人同士がお茶を媒介として一日を楽しく過ごしたということまで書いてある。茶会で始まって、終盤は席を改めて酒を飲んでしまうことも多いと知った。
歴史に名前が出てくる人物同士が、茶室という空間で、そういう楽しみ方をしたという風景を想像すると、茶の湯のありようが少しわかる。知的レベルが高い同士、あるいは当時のことだから身分などもあるはずだが、こと茶会では商人と大名が一緒に楽しんだようである。それが茶会というものなんだろう。
遠州と直接関係はないが、千利休が秀吉によって切腹させられる前、最後にお茶を楽しんだ相手は徳川家康で、一対一で過ごしたとある。これは「その時何を話したんだろう?」と気になってしょうがない。そういう風に、歴史上の人物同士が一緒に過ごしていたんだということが、その人たちを生きた人として捉えることに結び付いた。関ヶ原の戦いを前にして武将同士が権謀術数を尽くしたというような歴史の面白さもあるが、茶の湯を楽しむ文化的余裕が生まれてから、あるいは、そういう余裕を持つことのできた大名クラスが何を「面白い」と思って過ごしたのか、ゆるゆると読んでいくと実に味がある。
茶道に造詣が深く、この本に出てくる器、諸道具の意味を汲み取ることができる人なら、そんな名器を使いながらお茶を楽しんだのか! というようなことがあるのだろう。私はそっちの方面の知識に乏しいが、それでも家光が招いた客に「これがわかるか?」というような仕掛けをした、などという話を読むと、歴史を深く知る楽しみは逃せないな、と思うのだ。