最初はね、「なんだよ、この書き方、うざいな」っておもったよ、だって冒頭から永劫回帰がどうしたこうしたなんていう哲学談義が始まるんだもの。ま、たしかにこうした手法は村上春樹もよく使う、なるほど、小説というものは「物語とそれについての感想および考察」である、それに小説にだって表玄関というものがある、もしも読者がめんどくさければそういう箇所は適当に読み飛ばせばいい。と、そんなふうに(気を取り直して)、おれはこの小説を読み進めていったんだ。だって、この小説、「現代文学を代表する、あのクンデラが、1960年代末の、“プラハの春”とその終りを舞台に描いた20世紀文学の傑作」ってことになってるからね、そこまで言われちゃ、文学マニアのおれとしては外せない。もっとも、業界評価には当たり外れがあるから、盲信は禁物なんだけれど。
しかしね、読み進んでゆくと、物語はけっこうイイ感じなんだ。女好きでドンファンで次から次へと女とやってる遊び人の外科医が、ちょっとした気のゆるみで、ほんらいだったらゼッタイ恋愛対象に入らないような、おぼこで純情な田舎のウェイトレスのねえちゃんに、憐憫の情と愛情と性欲の入り混じったパッションを萌えあがらせちゃって、そこから人生を狂わせてゆくわけよ。お、いいじゃない、そうこなくっちゃねぇ。この遊び人外科医の名前は、トマーシュ、これまでの人生でざっと200人の女とセックスを重ねてきた。(がんばるね)。かれは3の規則を遵守してきた、「同じ女と短い間隔で会ってもいい、ただし3度以上はだめだ。その女と長期にわたって何度つきあってもかまわない、ただしデートのあいだには少なくとも3週間の間隔を置くこと。」こうしてこれまでかれは軽く、軽く、人生を楽しみ続けてきた。ところがあるとき、なんの気の迷いか、その、おぼこで純情な田舎のウェイトレスに、ちょっとした憐憫の情を寄せてしまう。さぁ、たいへん、彼女はかれを追って、かれの住む都会まで追いかけてきて、なんとかれの「おしかけ女房」になってしまうのだった。
その田舎のウェイトレスだった彼女の名前は、テレザ。テレザにとって、トマーシュは救いの神だった。なぜって、そもそもテレザは自分の母親との関係に厄介を抱えていたからね。だって彼女のママは(2度の結婚に失敗し、人生の夢破れ)、いつのまにか、品のない女になり果てていてね。窓の外の人目も気にしないで裸になったり、恥ずかしげもなくおならをぷーぷーするような下品なおばちゃんなんだ、いわばね。テレザはそんな母親を嫌だなぁ、っておもってるわけだけれど、でもその他方で、娘である自分自身が、ママの失敗した結婚の、負の遺産なのね、なんておもっちゃって、いわれのない負い目も感じてもきた。テレザ、かわいそうでしょ、けなげだよね。しかも彼女は15歳のときからウェイトレスをして働いて、稼ぎはママに渡してきた。そりゃテレザはママとの暮らしが息苦しかったろう、でも、テレザは逃げ出すことができなかった。そんなときテレザは、トマーシュと出会ったってわけ。テレザにとってトマーシュこそが、まさに、それまで甘んじてきたみじめな牢獄かから、文化の香りのする高い世界へ、「わたし」を救い出し、「わたし」を向上させてくれさせてくれる、そんな救世主のような存在だっておもったわけ。
そんなふうにふたりの暮らしが始まったものの、しかしトマーシュのドンファン・ライフはいっこうに収まらない。そりゃそうだよね、女好きとか尻軽とか、たいてい一生治らない。あるときテレザはサビナという名の女からのトマーシュへのラヴレターを発見して、しかもそれが自分と付き合いはじめてからのものだったから、もう嫉妬の炎が燃え上がっちゃって、たいへん。いつしかテレザは、世界中の女が潜在的なトマーシュの女、って疑心暗鬼になっちゃって、すべての女に警戒心を抱くようになってゆく。怖いですねぇ、超怖い。そんなかテレザはおもいがけず写真家になってゆく。
他方、もちろんトマーシュにはあいかわらずたくさんの恋人がいる、モテるのよ、トマーシュはほんっと女たちを惹きつけるフェロモン出してる。そしてそんなトマーシュにとって心が休まるのが、絵描きのサビナ。映画版ではレナ・オリンが演じていたね。サビナはいたって気も軽く、しかも尻も軽い。その上、トマーシュの魂に美質さえ見てくれる。しかもサビナは(トマーシュに紹介されてテレザと知り合い)、実はテレザはサビナに嫉妬を抱いてるのに、テレザからの要望に応じて、彼女のヌード写真のモデルを務めさえするわけ。ちなみにここは映画版だと、テレザ役のジュリエット・ビノシュがニコンのカメラのファインダー覗きながら、横たわるサビナ(レナ・オリン)の美しい背中を舐めるように眺めたあげく、なにか決心したようにひとおもいに、サビナのパンティを引き摺り下ろし、桃のように美しいお尻を露わにする場面がある。フィルムは即座にカットアップして、サビナのぎょっとした表情に繋いだっけ。(いやぁ、生きてて良かったっておもったよ)。