柴田宵曲(しばたしょうきょく)の人物紹介は、別に書いた『団扇の画』で読んでもらうとして。
この本は身近において、ちょっと時間が空いたときに一章、といっても文庫で3ページなのだが、それをポツリポツリと読むのがいい。でも、面白くて、ポツリポツリでは済まなくなってあっという間に読んでしまうことになる。
明治時代については、学校の歴史の授業では激動の後の混乱期を経て、新しい日本の礎を急速に築く時代で、日本的な事物が否定されどんどん西欧化していったということになっている。そういう事物が、当時の人にどう迎えられ、どういう風に普及していったかなどは、歴史の教科書だの年表には現れない。
そういうことを「実はね」という感じで語ってくれる本といっていい。まったく、書名通りで『明治風物誌』だ。
万年筆という章は、こんな風に始まる。
「余と万年筆」という文章によると、漱石がはじめて万年筆を手にしたのは洋行の際である。但しこれは文字通り手にしたまでで、真に使用するに至らなかった。親戚の者から贈られたこの万年筆は、船中で器械体操の真似をして壊してしまったため、航海中も役に立たず、英国に行ってからもペンで済ましてゐたのだそうである。
この文章の後半に、万年筆は普通「マンネンヒツ」というけれど、古風な人は「マンネンフデ」といったとも書いている。ははぁ、筆を使ってきた国の人間としてはそうなるか、という気がした。そこに、国文学者で俳人でもあった沼波瓊音(ぬなみけいおん、ルビがないと私にはとうてい読めない人名) は、万年筆を「泉筆」と称して、「泉筆に水を通すや夏に入る」という句を読んでいると教えてくれる。しかし、この言葉は一般に使われなかったのは、私たちが万年筆と呼び慣わしていることでわかる。
ランプという章では、明治になってからの暮らしぶりの一端を教えてもらった。
先輩から聞いた話として「明治も日清戦役ごろまでは、大体従前の生活と大差なく、ラムプは使ってゐたけれど、夜寝る前になると消して行燈に替える」という具合だったそうだ。
そこで「ラムプ消して行燈ともすや遠蛙」という子規の句を持ち出して、それが一般的な風習だったことを確認している。こういう話を一つずつ読み進んでいると、ああ、今あるこれが日本に初めて入ってきた頃、使われ始めた頃はどうだったかなど想像できて面白い。
このあと20年30年たってから、携帯電話が登場して、やがて「ケータイ」と呼ばれるようになって、便利ではあるが電車の中などでの使い方がひどくて大いに文句がでたものだ、などという話が昔話になるんだろう。
伊藤博文がヨーロッパから帰った当時、シガーに夢中で汽車の中でも、読書中でも、来客に会うときでもふかしていたとある。こういう話は、歴史にでてこないけれどちょっと面白い話題で、この本は、そういう話題がぎっしり詰まった本ということ。
芋蔓式の読書であれば、冒頭の「余と万年筆」を漱石全集から探して読んでみたりするのも悪くない。ワクワクハラハラするミステリなどとは違うけれど、こういう本は本で、読み出したら止められないぐらい面白い。