欲望をもてあまし、小心ゆえの保身で人を利用するこずるい男と、底抜けの優しさと無垢さとを持った女が出会ったとき、その二人はどんな結末を迎えるのだろうか…。
本書は女の人の良さ、そして世間知らずゆえの無知につけこむ男(=吉岡努)と、男の言葉を真に受けてひたすら尽くす女(=森田ミツ)の哀しい物語だ。底辺を這いずるような、どうしようもない現実と結末は、読む者をやるせない気持ちにさせる。
だが最終的には、どんなときにも懸命に一途に生きるミツの聖女のような精神が、広く人生とは何か、愛とは何かを考えさせられる筆致で描かれている点が救いである。
さて、物語は吉岡の視点でつづられる。本書に登場する吉岡努は“蛆のわくような下宿に住む貧乏大学生で、肋骨が浮き出るほどやせて右足が不自由で、ヤレる女なら誰でもいいと思っている”大学生。モテナイ男だ。
60年代当時の大学生といえば、今と違って恵まれたエリートだろうが、吉岡は学生運動、安保闘争にも熱中できず、自分の性欲をもてあましている。
“小太りで団子鼻に汗を浮かべながら柿色のセーターを着て”登場する女・森田ミツは工場の事務員、女性的には魅力に乏しい田舎娘だ。だが底抜けにお人よしで人がいい。二人は雑誌の投稿コーナーで知り合う。
ミツの優しさと、弱いものに対する同情心とを利用して、吉岡は二度目のデートで旅館に連れ込み、ミツを自分の性欲のはけ口として利用する。
だが一回ミツと関係を持つと、男の身勝手さを発揮。ミツの愚鈍さ、女としての魅力の乏しさに、吉岡は「どうしてこんな女と関係をもってしまったのか」と憎しみともつかぬ感情を抱き、海岸に置き去りにしたり、下宿を変えたりしてミツと連絡をとらなくなる。
連絡を絶つにしても、やることがまたセコイではないか。しかもミツはたった一回の関係で妊娠し、中絶することとなった…。
吉岡は大学を卒業して、自動車の部品会社に就職。経営者の姪・マリ子との恋愛、そして縁談話も進んでいく。ミツをぼろ雑巾のように棄てたのに対して、マリ子には手も触れられず大事に、大事に、扱っていく。
マリ子に触れられぬぶん、性欲をもてあまし、風俗店に通う。だが吉岡が風俗店に通うことが同僚にバレそうになり、あわてた彼は安全な手段としてミツに再会を申し込み、彼女を性欲のはけ口として利用しようとする。
ミツとしては待ちにまった吉岡との再会。一方吉岡にはマリ子との結婚式も迫っている。そして再会を目前に、ミツの体には当時最も差別を受けていた病のひとつハンセン病の症状があらわれてしまった。ミツにはどこまでも不幸が付きまとう。
だが入院した御殿場の病院で精密検査を受け、誤診であることが判明。ミツはそのまま病院で修道女の手伝いをする。修道女たちをして“聖女のよう”と言わしめた献身的な日々がはじまる。
そして…。
ミツはどうなったのか。
衝撃の結末は、本書をぜひ読んでいただきたい。