人が人を残忍に殺そうとしている場面から小説が始まる。映画の冒頭に時々あるように、いきなり情況が動いていて、そこにいる「被害者」の惨めさが強調され、殺す側の顔は見えない、といった具合。1ページ目から緊張感があり、口の中が酸っぱくなる。
コーンウェルのこの「検屍官」シリーズは、私も1冊目から読み続けて、毎年暮れに新刊が出るのを楽しみにしていた。女性にも多く読まれて、海外ミステリのシリーズとしては非常によく売れたし、今も新刊が安定して売れていると聞いている。
確かに面白いし深いのだが、私にはあまりにも重たるくなってしまって、シリーズの9か10からあとは読んでいなかった。
新刊のこの『異邦人』はシリーズ15作目に当たるとある。4作か5作飛ばしてしまったことになる。実に怠慢な読者。ただし、読んでいないのであって、間違いなく面白いと信用しているので本は買ってはあるのだ。買っておいて4年も読んでいないのはよけいひどいか。
重たるいというのは、このシリーズが単純なミステリーではなく、人間の信じがたい邪悪な面をじっくり書き込んで「うんざりさせる」度合いがどんどん高まってきたからだ。信じがたいと思うのは私の考えだけで、人間は邪悪なものなのかもしれない、とも考えられる。
ここでいっている「うんざり」は、必ずしも否定的な表現ではなく、よくまぁこれほどまでにいやな人間が書けるものだと誉めているのだ。読者である私を「うんざりさせる」ほど、人間を描くのが巧く、分厚く、読み終えると毎回感激しながら疲れてしまっているのがわかった。それがコーンウェルの「検屍官」シリーズである。
読み終えて、犯人が捕まりましためでたしめでたし、という類のミステリーではない。しっかりしていないと、行間に負けてしまう。そういう小説である。あの、日本のテレビミステリーのようにお気楽なものではない。海岸を歩いて過去を告白する間抜けな時間はない。
このシリーズ、まだ読んでいない人は「幸運」だと思って欲しい。抜群に面白いミステリーを本屋に預けっぱなしにしてあると思えばいいのだ。そして、じっくり味わえるミステリーが読みたくなったらまずは1作目『検屍官』を買いにいけば新しい楽しみが始まる。
このシリーズ、登場人物たちの複雑な絡み方、それぞれの人生経験の違いや、あるいは一人一人の人生の挫折、仕事上の悩みなど、シリーズが進むに従って層が厚くなってきているので、順に読んでいかないとわかりにくいと思う。
主人公の女性検屍官にしても、捜査陣の中で確固とした地位を獲得するに従って、邪魔する者達の手段があくどくなるといった感じ。あの手この手で行く手に立ちふさがる手段がみごとに悪辣。そうしたことをしっかり読むミステリーなので途中から読むとわからないことが多いし、面白いところがわからなくなることがある。
それが「犯人が捕まってめでたし」だけではないという意味である。