だが本書の一番の魅力は何といっても、談春のレンズを通して描かれた、巷間伝わる理不尽でけちで怖いというイメージとはひと味もふた味も違った立川談志像だろう。
師匠に「恋焦がれている」談春から見た談志はひたすらかっこよくて、才気に溢れ、限りなくやさしい。
弟子のレベルに合わせて理にかなったアドバイスもすれば時に応じて懇切丁寧な指導もできる優れた教育者でもあり、ライオンのぬいぐるみを愛し雨を愛し海を愛する純真無垢な少年のような心の持ち主でもある。
談春が心にとめた談志の言葉はどれも含蓄があり心に染みる。
「俺には後進を育てる義務がある。自分が育ててもらった以上、僕も弟子を育てにゃならんのですよ」
「俺の側にいる方が勉強になる。学校では逢えないような一流の人間にも逢える。学歴なんぞ気にしなくていい」
「世の中のもの全て人間が作ったんだ。人間が作った世の中、人間にこわせないものはないんだ」
「師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん」
「進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ」
「覚えておけ、弱者は夢でバランスを取ってくる」
「嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ」
「喰い物を捨てるくらいなら、喰って腹を下した方がよっぽど気持ちがいい」
「今後は自分達のために毎日を生きろ。まずとりあえずは売れてこい。売れるための手段がわからないと云うならいつでも相談に来い」
「あくまでお前達が相手にするのは世間であり大衆だ」
「落語はもはや伝統ではありません。個人です」
心打たれるシーンはいくつもある。ほろりとさせられるフレーズもある。
稽古での師弟のやりとりには思わず背筋が伸び、なぜ立川流はすぐれた落語家を次々輩出するのか深く納得させられもする。
タイトルの『赤めだか』は師匠の談志が練馬の家の水瓶で長年買っていた金魚……いくら師匠が愛情をかけて餌をやり、育てたところでちっとも大きくならないので、これじゃあ金魚じゃなくて赤いめだかじゃないかと弟子たちがつけたあだ名。
師匠の愛情に応えず大きくならない金魚に自身のありようを自戒をこめて重ね合わせているのだろうが、どうしてどうして。この金魚、どんどん大きく育ち、末は金目か鯛にもなろうという勢い。
伸び盛り談春の筆になるこの一冊は落語の芸の深さ、底知れぬ面白さ、立川談志を頂点とする落語家たちの魅力をつぶさに教えてくれる。落語ファンならずとも期待を裏切らない一冊だ。