冒頭の一行から名著の匂いがぷんぷんして、くらっとくる。
「本当は競艇選手になりたかった」
ちょいとばかりすねた感じの、だからといってとりわけどうこう言うこともない文章だというのに、立川談春のいささか屈折した青春の日々がこの一行で勃然と立ち上がってくる。
おかげで次行からどんどん引き込まれる。
世の中や人間に対する鋭くて深い洞察力。迷いがなくて肝が据わっていながら、思わず爆笑してしまうような洒落っ気も忘れない書きぶり。したたかで的確な描写力。
読点から読点までが長いにもかかわらず、談春の高座を彷彿とさせるような滑舌のよさ、心地良いリズムがあり、粒だった言葉が乱れることなく端正な文脈をつむぎ、師匠談志や落語への真摯な思いがストレートに伝わってきて、感動したり笑ったり納得したりする。
とにかく、いやになるくらい文章がうまい。
名人への道を着実に歩んでいると世の落語ファンが熱い視線を寄せている談春は、文章家としても名人になるつもりなのか。
「これじゃあ、文筆をなりわいとするこちとらは商売あがったりだぜ」と愚痴のひとつも言ってうなりたくなるくらいの出来映えなのだ。
内容がまた魅力たっぷりだ。
落語というものの本質、落語界のありよう、立川流イズムやこの一門の現状がつぶさにわかるばかりか、登場人物たちの際だった個性が立体的に色鮮やかに迫ってきて、飽きることがない。
遅い年齢で入門したものの、二年足らずで五十席を覚えスピード昇進。師匠の談志をして「志の輔を見習え」と言わしめた立川志の輔のずば抜けた優秀さ、堅実で温かい人柄。
放送作家でありながら、立川流初のBコースの真打となった高田文夫の才能を見抜く(大目玉な)眼力のすごさ、その割には年甲斐もなくやんちゃもしてのけるお茶目ぶり。
弟弟子・志らくのゴーイングマイウェイなユニークさ。
その他、総領弟子の桂文字助をはじめ、談春が前座時代にともに修行した談秋(志半ばで廃業)、談談、関西といった兄弟弟子たちが繰り広げる途方もない、だからこそ人間味あふれるしくじりの数々。
「修行とは矛盾に耐えることである」という談志の教えそのままの談春の修行ぶり。
鳥獣戯画さながら闊達に描かれている。押さえた筆致がユーモアを倍加している。
ことに笑ったのがこのエピソード。
落語の『化け物使い』に登場する人使いの荒い吉田の隠居の上を行く師匠の脈絡のない大量の言いつけに、談春を含めた前座たちが何とかやりとげようとしゃかりきになるというくだりなのだが、立川談志の言いつけというのがふるっている。
「二階のベランダ側の窓の桟が汚れている、きれいにしろ。葉書出しとけ。スーパーで牛乳買ってこい。庭のつつじの花がしぼんで汚ねェ、むしっちまえ。留守の間に隣の家に宅急便が届いてる、もらってこい。枕カバー替えとけ。事務所に連絡して、この間の仕事のギャラを確認しとけ。シャワーの出がよくないうえにお湯がぬるい、原因を調べて直せ。どうしてもお前達で直せないなら職人を呼ぶことを許すが、金は使うな。(中略)家の塀を猫が偉そうな顔して歩きやがる、不愉快だ、空気銃で撃て、ただし殺すな、重傷でいい。庭の八重桜に毛虫がたかるといやだから、薬まいとけ。なんか探せばそれらしきものがあるだろう。なきゃ作れ。オリジナリティとはそうやって発揮してゆくもんだ」
そこで、分担を決め各自仕事にかかったのはいいが、ひとりがものすごい形相で(毛虫がたかってるのは八重桜なのに)つつじの根元にキンチョールをまいてるかと思えば、もうひとりは黒いサングラスをかけてベランダに伏せ、空気銃を構えて猫が通りかかるのを待ちかまえている。さすがは吉田の隠居の上を行く師匠の弟子。与太郎の上を行くとんちんかんなパニックぶりなのだ。