「フローラは明け方の四時に目を覚まして考えた。今日、おまえは世界を変えはじめるのよ。(・・・)何年か後には人々も変わり、不公正もなくなるだろう。彼女は行く手にはだかるであろう障害に立ち向かおうとする気力に満ち、心は穏やかだった。」
彼女の名前はフローラ・トリスタン、花と哀しみの名を持つ黒髪の美女、その魂には燃える炎を宿しています。彼女は、19世紀前半のフランスに生きています。女性たちはコルセットにしめつけられ、家庭という名の美名の下に男に物品のように扱われ、子供を産む機械として、そして酔っ払った夫に、牛や馬のように扱われていた時代。しかも抑圧に甘んじているのは女性だけでなく、労働者たちも同様でした。彼女は考えました、労働者たちが身を守るため団結が必要、なぜって、ばらばらのままでいては金持ちたちにいいように使われ続けるから。いまこそ女性たちは労働者たちと共闘して、もっと幸福な社会を作るため立ち上がることができるはず。そして彼女は立ち上がったのでした。
なんと凛々しくドラマティックな物語の始まりでしょう、時代錯誤なほどに壮大な。
さて、いくらか異なった時代の、まったく別の場所に、もうひとりの主人公がいます。かれの名前は、ポール・ゴーギャン。南の島の、澄み渡った青い空の下、たわわな果実を実らせた樹木が風にそよぐなか、かれは島の娘たちの絵を描いています。かれは島の娘を妻にして、セックスをたのしみ、性の衝動をエネルギーに、楽園のイメージをキャンバスに描きあげてゆきます。
読者であるわたしたちはあらかじめ知っているでしょう、かれがパリのブルジョワの子弟として生まれ、いったんは証券会社の社員になって、結婚もして家庭も持って、安定した生活を営んだものの、いつしか趣味だったはずの絵画への夢を断ち切れず、画家に転身、家族を捨てて、ポリネシアの小島、タヒチへ移住してきたことを。
かれは楽園で自由を満喫しています、しかしながら読者であるわたしたちは気がつかずにはいられません、その明るい光に満ちた、セックスと創作の結婚に、どこか不穏な影もまた差していることを。そもそもゴーギャンは家庭を捨て、重婚の罪を犯し、その上、娘たちをとっかえひっかえセックスを愉しんいます、芸術創造の糧として。
フローラ・トリスタンは、社会改革運動に乗り出します。彼女は人々の意識を改革し、より良い社会を作るため、「労働者の団結」のパンフレットを作り、それを売り始めます。彼女はポスターを書店に置き、酒場で演説を繰り返し、フランス全土を演説してまわるようになります。やがて彼女は、「スカートをはいた煽動者として」知られるようになってゆきます。フローラ・トリスタンは戦い続けます、外面的には教会権力や社会に、そして内面的には母親からの非難の声―「家庭を捨てる女は売春婦にも劣るんだよ」―に。