文学の世界には、誰も読まない巨匠三銃士ってのがいます。ジョイス、ピンチョン、バロウズです。名前さえ知ってりゃじゅうぶんで誰も読みゃしないわけです。したがって、文学ファンはかれらの話題になったときには、誰しも、一般に流通している文学的キーワードを二言三言しゃべって、で、知ったかぶりをするわけだ。けっこう話は合っちゃいます。ただし話が合っちゃうのは、実はおたがい読んでない者同士だからなんだよね。逆に、その話題をしてる人たちのなかに、誰かひとりでもしっかり徹底的に読んでる人がいたりすると、話はがぜん、突拍子もない、わけのわかんない方向に走り出しちゃいます。そういうものです、文学談義って。
ちなみに読まない者同士がしゃべるときのバロウズのキーワードは、次の7つ。
1)ビートニクの作家たちのなかで、もっとも喰えない作家だよね。
2)カットアップって技法を使った作家でしょ。(※後述)
3)すっごいジャンキーで、ありとあらゆるドラッグに手を出したんでしょ。
4)奥さんとウィリアム・テルごっこをして、撃ち殺しちゃったんだよね。
5)ランゲージ・イズ・ア・ヴァイルス(言語はウイルスだ)っていう歌詞を、ローリー・アンダーソンが歌って流行らせたよね。
6)ショットガン・ペインティングっていう手法で、アート作品を作ってたね。木片に絵の具塗ったくって、その木片を、ピストルで撃ち抜いて。
7)晩年はネコがどうしたこうしたっていうあまっちょろい作品を書いたらしいね。
ま、これだけ知ってりゃじゅうぶんです、これ以外試験に出ませんから。
おいおい、代ゼミのセンター試験対策講義じゃないっしょ、ちゃんとレビューしようよ、内容に入ろうよ。
え、まさかそんな酔狂な人がいましたか。じゃ、しょうがありませんね、ちゃんとレビューをしましょうか。
じっさい読んでみるとバロウズの作品って、基本的に冒険活劇ですね。『レインボーマン』とか、『仮面ライダー』とか、ああいう世界を極端に悪夢的に歪ませたような感じ。あるいはマンガみたいって言ってもいいかな、たとえば井上三太さんあたりが描いたらぴったりって感じ。ただしバロウズの場合、ストーリー展開の脈絡がつかみにくいし、物語が無駄に込み入ってるから、ほんとうに悪夢的。
それから代表作の『ソフトマシーン』以降のいわゆるカットアップ技法を使った作品になると、あたかもテレビに電磁石を当てて歪みまくった画面を見てるような、ドラッグで歪んだ脳が知覚するこの世界の悪夢的リアリティがあります。ちなみにカットアップというのは、まず既存の本の任意のページを切り取って断片化し、別の断片と繋ぎ合わせる。そんなことするととうぜんぎくしゃくした不整合な接合感をそなえた奇怪な文章ができちゃうわけなんだけど、そこを無理やり流れをいちおう整えて、ひとつつらなりの描写として仕上げてゆく。そんなふうに切って、貼って、複合させるって作業をえんえん続ける執筆技法です。もちろんまともな作家はこんな技法には手を出しません、そもそも必然性がないし、技法そのものがきわめて狂気に親近性を持っていますし、こんなことやったところでしょせん失敗を運命づけられているわけです。ただし、さすがにバロウズはジャンキー作家のお家芸だけあって、この技法に拠って、シュールレアルな、奇怪なリアリティを作り出すのに成功しています。
さて、今回紹介するバロウズの『裸のランチ』では、まだカットアップ技法は使われていません。ま、ごちゃごちゃ言ってないで、読んでいきましょうか。
「警察(さつ)が迫ってくるのがわかる。連中は向こうでごそごそ動きまわり、いまいましい密告者どもを配置し、ワシントン・スクェア駅で捨てたおれのスプーンと注射器(ドロッパー)を囲んでぺちゃくちゃしゃべっているのだ、おれは回転改札口をとびこえ、鉄の階段を二つ駆け降りて山の手A線の電車に滑り込む・・・」