■"On the Road: The Original Scroll" Viking Press 2007
"On the Road"にはむかしから伝説がある。ケルアックはジャズマンよろしくタイプライターを速打して、速打して、速打して、べゼドリンとコーヒーを飲みながら、ろくに眠りもせずに3週間で書き続けたという伝説である。もっともじっさいにはケルアックは何年ものあいだこの小説を抱え、書き続け、それこそ冒頭など何種類書いてみたかわからないそうだが、しかしケルアックはそんなダサい話は一言も口にせず、3週間で書きあげた、と吹いた。
そしてその言葉に信用を与えたのが、ケルアックがタイプライターに紙を入れ替える時間が惜しいし、いかにもイマジネーションの流れを止めるため、トレーシングペーパーをあらかじめテープで繋ぎ、長いロール状にして、そのロールに"On the Road"をタイプし続けたことであり、この巻物は、写真で広く知られている(青山南の解説にくわしい)。そして今回、出版元のヴァイキング社が"On the Road"刊行50周年記念として、その巻物にタイプされた初稿からそのまま印刷されたヴァージョンを出したのである。
1)この初稿では登場人物はすべて実名で、(すなわちSal Paradise ではなくJack Kerouac として、Dean Moriarty ではなくNeal Cassady として、Carlo Marx ではなくAllen Ginsbergとして)書かれている。名前を変えたのは小説らしくするためだろうか、あるいは出版社が訴訟を怖れたためか?
2)初稿では全文が改行なしで、長い長い長い長い1段落として(!)書かれている。会話の部分も符号で括ってあるものの、段落の内部に押し込められている。たしかにこの方が、『オン・ザ・ロード』の実験性は見えやすくなる。とは言え、やはり読みにくいので、おそらくは批評家でヴァイキング社顧問のマルカム・カウリーが、適当に改行を入れて、5つの章に分けたのだろう。
3)興味深いのは冒頭部分、これまで知られていた「おれがディーンに初めて会ったのは、ワイフと壊れてまもない頃だった」という箇所は、なんと初稿では、「おれが初めてニールに出会ったのは、おれの親父が死んでまもない頃だった」となっている。
ちなみにケルアックの父親が癌で死んだのは1946年、ケルアック24歳の年であり、この年の12月にケルアックはニール・キャサディと出会っている。そしてヒッチハイクだのなんだと体験を重ね、"On the Road: The Original Scroll"が完成したのが(河出書房新社・世界文学全集に収録されている年譜に拠ると)1951年である。
4)献辞がある。
Dedicated to the memory of
Neal Cassady and Allen Ginzberg
ニール・キャサディとアレン・ギンズバーグのおもいでに。
5)ホイットマンのエピグラフがある。
Camerade, I give you my hand!
I give you my love more precious than money,
I give you myself before preaching or law;
Will you give me yourself? will you come travel with me?
Shall we stick to each other as long as we live?
Walt Whitman
カメラーダ、わたしはあなたに手を差しのべる。
わたしはあなたに愛を捧げる、おカネよりもっと尊い・・・
わたしはあなたに自分を捧げる、牧師の説教以前に、あるいは法律にさきだって。
あなたはわたしにあなた自身をくれるだろうか? あなたはわたしと旅するだろうか?
さぁ、おたがい一緒にいよう、生きている限り。
ウォルト・ホイットマン
それらの献辞とエピグラフが、"On the Road"1957年版で削除されているのは、おそらくマルカム・カウリーの判断だろう。邪推するならば、「最初にこんなのろけみたいな文句を読まされちゃ、読者がしらけるだろう。しかもそれだけじゃない。さぁ、これから新時代の文学を世に問うってときにホイットマンってのはまずいだろ? ええい、カット、カット!」って感じなんじゃないかな。
たしかに、喩えて言えば、村上龍のデビュー作のエピグラフに松尾芭蕉、みたいなものかも。
河出書房新社・世界文学全集に収録されている年譜に拠ると、"On the Road" のゲラはケルアックのとこに送られず、出版され、ケルアックは憤慨したそうな。「狡猾なカウリーにまんまと騙された、(でも、ストーリーはほとんど破壊されていない)。」
そりゃ、ケルアックは怒っただろうなぁ、ゲラも見せないなんて、新人だとおもっておれをバカにしやがって。しかしそこで本気で力いっぱいに怒るとかっこ悪いから、ま、ストーリーはほとんど破壊されてない、なんて体面を保ったんじゃないかな。
とは言え、公平に見て、マルカム・カウリーは、良い仕事をしているとおれはおもう。そもそもこの作品の可能性を最初に発見した第三者は、かれなのだし、編集における判断も、おおむね妥当なものではないだろうか。