1990年代のイタリア旅行案内としても読めた本書は、21世紀になっても新鮮である。イタリア都市文化論が主なテーマとなっており、地域間格差など最近の日本の社会情勢を考えるのに役立つ。社会問題を社会問題としてむずかしく考えることは大切であるが、本書を通して、肩のこらない観察眼を養うのも良いであろう。
著者は、イタリア建築・都市史を専門とする研究者である。著者の30年にわたるフィールドワークをまとめたものとはいえ、難解な専門書ではない。むしろイタリアのまちを写真ではなくスケッチとともに楽しむことができる。
イタリアを語るときにもっとも重要なキーワード、それは「都市」であるようだ。多様な都市文化の集合がイタリア文化である。イタリアの小さな地方都市では、人口が1万人いれば十分に都市の面構えをしており、個々の地方都市は力をもっている。それを合成すれば、イタリア全体が活気づく。これは、イタリアが生んだ著名な社会経済学者ヴィルフレド・パレートにちなんで、パレート改善の状態、Win-Winというが、イタリアの特徴である。日本の地方都市ではそうはいかない。なぜだろう。本書は、その謎を解き明かしてくれる。
パッセジャータ、散歩を楽しむ人が多いのがイタリアである。著者と一緒に歩くことの楽しみを味わうことができる。個性派の国、イタリアでは人々の生き方は多様である。住まいのあり方も幅がある。
「住宅は自由な人生設計の場である。どこへ、どのように住むかは、その人の人生哲学や美意識と結びつく」、画一的で衡平なことが重んじられる日本では、それは許されない。定住するかしないかも自由であるが、自分のまちを心から自慢するのもイタリア人である。筆者のイタリアびいきを割り引いても、イタリアのまちは,21世紀の日本のまちが進むべき方向を示しているようである。
スローフード発祥の地でもあるイタリアは、団塊世代にも影響を与えているようである。アメリカ的生き方に憧れたのも団塊世代であるようだが、今日にあっては、イタリア的生き方は「ちょいワルおやじ」流生き方でもあり、著者も評者も同世代であるのは偶然ではなそうである。