読書好き、とくに日本の現代文学に関心がある方なら、菊地信義という名を目にしたことがあるだろう。いや、たとえ名前は知らなくても、彼が手がけた書籍を手にしたことがあるはずだ。
菊地信義は装幀家である(菊地自身は「装幀者」と称している)。中上健次や澁澤龍彦といった伝説的な書き手から、金原ひとみや蜂飼耳といった新進の作家まで、つねに文芸の最前線で仕事を続けている。その数、およそ1万冊。驚くべき数だ。
アプローチは一貫している。テクストを徹底的に読み込むことで、素材(用紙)、書体(タイポグラフィ)、図像(イラストレーションや写真など)、色といった諸要素を組み上げていく。それは内容を「説明」したものではない。装幀というかたちでの「批評」となっている。その緊張感があるからこそ、菊地の装幀は美しい。
1986年に菊地は『装幀談義』(筑摩書房、絶版)を発表し、手の内を披露しているが、20年後の2007年、その変奏曲のような『みんなの「生きる」をデザインしよう』を刊行した。前著に比べると、語り口が平易で、非常に読みやすい。というのも、これは菊地の母校、藤沢市立本町小学校での特別授業を書籍化したものなのだ。
菊地は谷川俊太郎の詩「生きる」を題材に、オリジナルの装幀を考えさせるという授業を行う。各自が「生きる」という詩をどう読み、何を感じたか。そこから出発して、さまざまなデザインが生まれてくる様子は感動的だ。菊地の愚直なまでの真剣さに、子どもたちも打てば響く反応を返してくる。
仕事柄、デザイン関連書に目を通すことは多いが、恥ずかしながら、涙ぐんでしまったのは、初めての体験だ。
たとえば、ある男の子にとっての「生きる」とは「なかなか飲み込めないこと」。谷川の詩からインスピレーションを得て、自分なりの「生きる」を探し当てた子どもたちは、さらにそれを明確なイメージとして定着させなければならない。
ただし、菊地は何かを飲み込めない様子を描くようなやり方(つまり「説明」だ)を禁止する。そうではなく、何かを飲み込めないときの感情の動き(これを「批評」の萌芽と呼ぼう)をデザインしようと呼びかけるのだ。
子どもたちの表現は、なるほど、拙いかもしれない。しかし、考え方のプロセスは、大人顔負け。菊地は真摯な態度で、装幀とは何なのかを伝えようとしている。その分、読者も、装幀という仕事を追体験することができるのだ。
ここでは、菊地信義という装幀家の方法論が、明快なかたちで公開されている。と同時に、子どもたち同様、わたしたち読者も、小説や詩を読むという行為は何なのかという、根本的な地点にまで立ち返ることが要求される。装幀のありよう、本というかたちの奥深さに、思考を誘ってくれる一冊である。
なお、菊地は、2008年2月に『装幀談義』の続編にあたる『新・装幀談義』(白水社)を刊行した。併読をおすすめする。