フランスのポピュラー音楽シャンソン(・フランセーズ)が日本に紹介されたのは、1920年代後半。主に宝塚少女歌劇団の公演を通じてだった。1930年代にはダミアの「暗い日曜日」が淡谷のり子にカヴァーされるなど、歌謡曲歌手による紹介がはじまった。第二次世界大戦中の中断を経て、1950年代に静かなブームを呼んだときには、日本人のシャンソン歌手が増え、ラジオやテレビにシャンソン専門の番組があったほどだ。
大臣の娘だった歌手石井好子は、エッセイ集の中で、戦後まもなくパリにシャンソン修行に行ったとき、在仏中の小林秀雄ら文学関係者との交流の思い出話を書いている。それを読むと、当時のシャンソンが日本でどのような人にどのように受け入れられていたのかがよくわかる。
エルヴィス・プレスリーやビートルズの音楽が世界を席巻すると、フランスでもロックの影響を受けた若者向けの音楽イエイエが登場した。日本にはその流れをくむ音楽が1960年代から70年代にかけてフレンチ・ポップスという名前で紹介された。シルヴィ・バルタン、ミッシェル・ポルナレフらの音楽がそれにあたる。
しかし70年代の後半からはそれも少なくなり、次にフランスの音楽が国際的に注目されたのは、80年代の末のことだ。ただしそのとき脚光を浴びたのはシャンソンやフレンチ・ポップスではなく、フランスを舞台に花開いた移民たちの音楽ワールド・ミュージックだった。
21世紀に入ってから日本で最も売れた(あるいは少し前まで人気のあった)フランスのアーティストは、たぶんロック・バンドのタヒチ80、テクノ系のポップなダンス・ミュージックのダフト・パンク、エレクトロニックなポップのエールあたりだろう。そのうちタヒチ80は英語でうたっており、後二者は基本的に歌の(少)ない音楽だ。
最近急に知名度が上がったのは、サルコジ大統領と結婚したカルラ・ブルーニ(日本盤ではカーラ・ブルーニと英語風に読まれている)だが、ニュースで彼女の名前を聞いた人は多くても、彼女の音楽を聞いた人はあまりいないのではないだろうか。なお、彼女はこれまで2枚のアルバムを発表しており、最初がフランス語、2枚目が英語だ。
長年の累積枚数でいえば、昨年、伝記映画が公開されたエディット・ピアフのベスト・アルバムが時代に関係なく売れている。彼女の「バラ色の人生」「愛の賛歌」「ミロール」「アコーディオン弾き」「群衆」などは20世紀前半のフランスのヒット曲という枠を超えて世界的にスタンダード化しているからだ。
まえおきが長くなったが、向風三郎の『ポップ・フランセーズ フランスは愛と自由を歌い続ける 名曲101徹底ガイド』は、1968年から現在までのフランスの音楽を、外国人としてフランスで生活する著者ならではの視点で、世相とからめて深く楽しく紹介した本である。
1968年といえば、フランスで5月革命が起こった年だが、その中でイヴ・モンタンの「自転車」はどういう意味を持ったのか。前記カルラ・ブルーニの自伝的な歌や、サルコジを批判するディアムスのラップの背景には何があるのか。知りたければ、この本を読んでほしい。
とりあげられている曲は他に、ポール・モーリアの「恋はみずいろ」、クロード・フランソワの「コム・ダビチュード」(「マイ・ウェイ」の原曲)といった有名曲、フランスのヒット・チャートをかけのぼった沢田研二の「巴里にひとり」、あるいは同時代に日本では聞かれることのなかった歌の数々……。
ハンディな本だが、ここにはフランスの音楽の30年がぎゅっと凝縮されている。書かれていることは、これまで日本では誰も語ってこなかったことばかりだ(おやじギャグの連発も含めて)。日本の音楽業界がフランスの音楽を積極的に紹介しなくなった空白の時期をたった一人で埋め合わせしようとした本と言ってもいい。今後、日本人がフランスのポピュラー音楽について語ろうとすれば、この本を避けて通ることはできないだろう。目から鱗とはこの本のことだ。