不惑を過ぎて、周りにいる同年代の物書き連中がぞろぞろと「朝型」宣言をし始めた。「朝5時に起きてますよ。仕事がはかどる、はかどる。で、一仕事した後に炊き立ての白いご飯と納豆、これがうまいんだよねえ」
つい数年前までは一緒に飲んでいて、日付が変わったので帰ろうと言うと、「夜はこれからだ」とだだをこねていたはずの人が、「夜9時になったらもう眠くてだめだね。やはり人間、暗くなったら寝て、朝日とともに起きるのが基本ですよ」
と人の道を説くのだからあ然とする。
が、かくいう私も早起きがしたくてたまらなくて、さまざまなことを試してきた。起き抜けに冷たい水を飲めとか、カーテンを開けてまばゆい朝の光を全身に浴びろとか、無論、全部だめである。これらはそもそも「布団から出られる人」がやることだ。
それでも、何かの拍子に触発されて、本気で早起きに挑戦することがある。誰の著作かは忘れてしまったが、あるとき読んだ本に、「眠いと思うのは、つまり目覚めている証拠である。本当に眠いとき、人は寝ている」と書かれているのを発見し、それこそ目が覚める思いがした。
『唯脳論』の養老孟司さん風に言えば、「あなたが眠いと思うのは脳がそう思っているのである」ということかもしれない。朝、眠くて起きられないのは脳のわがままなのだ。そう考えて1週間ほど早起きをしてみた。が、眠いものは眠い。第一、脳と「私」は違うのか?
で、結局は元の木阿弥に終わるのが常なのだが、ここにきて私に「早起き」の認識をがらりと変えさせたのが、この本なのだ。東京・神田神保町の三省堂で、「ロングセラーフェア」のコーナーに山積みにされていた。今さら感もあったが、「15年(20年だったかもしれない)早く読みたかった」という惹句に目が留まったのは、やはり人生も折り返し点に差し掛かったと考えているせいだろう。
初版は1983年(文庫版は1986年)で、すでに四半世紀が経過したが、文庫は38刷(2007年10月末現在)と売れ続けている。お茶の水女子大学名誉教授の外山さんが書いているのは、他人のさるまねやお仕着せではなく、自分の頭で物事をちゃんと考えることの大事さ――であり、そのために賢く考え、上手に頭を使う具体的な「秘伝」が、読みやすく切れ味のいい33本のエッセイで惜しみなく語られているのだ。
例えば「朝飯前」という項で、外山さんはこうつづっている。
〈夜、さんざんてこずって、うまく行かなかった仕事があるとする。これはダメ。明日の朝にしよう、と思う。(中略)朝になって、もう一度、挑んでみる。すると、どうだ。ゆうべはあんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうではないか〉
外山さんは「朝飯前」とは、今使われている「朝食前にもできるほど簡単」の意味ではなく、もともとは胃が空っぽの朝食前に仕事をするほうが能率がいい、ということを表した言葉だと見抜くのだ。簡単だから朝飯前ではなく、朝飯前だから簡単、なのだ。
もっとも、仕事に適するのが「朝>夜」なのは、私の元飲み仲間でも気づく話だ。外山さん的思考法の真骨頂はこの先である。外山さんは、それでも無理に早起きをするのは嫌だと考えた。どうしたらいいか。
〈答えは簡単である。朝食を抜けばいい〉
朝8時に起きて仕事を始め、正午に朝昼兼用の食事を取る。そうすると午前中を丸々、「朝飯前」に当てることができるというのだ。これにはうなってしまった。同時に過ぎてしまった年月を悔やんだ。週刊誌の記者をそれこそ15年ほどやっているが、何百本もの記事を毎度徹夜して書いていた。
しかし、よく読むと、外山さんは文中でこうも述べている。
〈それまでの夜型の生活を朝型に切りかえることにした。四十歳くらいのときである〉
なるほど、外山さんが「朝飯前」を実践し始めたのも、れっきとした中年になってからだったのだ。時間を悔やむどころか、実にいいタイミングで巡り合ったものである。どんな本にも、その読者にとっての「読みどき」があるということだ。
さらに、外山さんは別項の「寝させる」というエッセイで、いい着想を得たら、それをずっとにらみつけていないで、しばらくそっと放っておくことを勧めている。味噌作りや梅干しを漬けるのと同じ要領である。時間がアイデアを熟成させ、一つの思考としての形が出来上がるのだという。
そのことを併せて考えると、私にはこの本自体が、初版から20年以上を経て、さらなる値打ちを醸し出していると思えてならない。例えば、巻末の「コンピューター」という項で述べられている、
〈これからの人間は、機械やコンピューターのできない(創造的な)仕事をどれくらいよくできるかによって社会的有用性に違いが出てくることははっきりしている〉
との指摘は、まさしく現在にあって焦眉の課題であろう。また一方、外山さんは冒頭でこんなことを書いている。
〈(自力では飛べず、引っ張られた通りに飛ぶ)グライダーとしては一流である学生が、卒業間際になって論文を書くことになる。これはこれまでの勉強といささか勝手が違う。何でも自由に自分の好きなことを書いてみよ、というのが論文である。(中略)グライダーとして優秀な学生ほどあわてる〉
まるで今どきの大学生のことかと錯覚するが、もとより四半世紀から前の話である。つまり、今の40~50代が「最近の大学生は頭でっかちで……」などと言い募る資格はまったくない、ということが分かる。
すぐれたロングセラーとは、正確なタイムカプセルであり、同時に偉大なる予言書である。繰り返しになるが、そういう本を読むのに遅いとか、早いなどということはない。