1993年の女子プロレス
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著
柳澤健
双葉社
[スポーツ]
[ノンフィクション]
国内
2011.06 版型:単行本(ソフトカバー) ISBN:4575303267
価格:1,995円(税込)
1993年4月2日、全日本女子プロレス、JWP、LLPW、FMWの4団体が横浜アリーナに集結した。それは、史上初めてのオールスター戦であり、空前の女子プロブームの幕が開けた瞬間だった。
かつて松永一族が専制君主のごとく君臨し、人間関係の軋みがそのままリングに反映される全女という閉鎖空間では、レスラーたちによる過酷な生存競争が続いていた。日々、リングで繰り広げられる押さえ込みという名のシュートマッチ。周りを蹴落とさなければ、自分が脱落していく恐怖をつねに背中に感じていた。「シュートと言っても勝敗だけのシュートではなく、すべてが勝ち残り、生き残り戦」(長与千種)という環境の中で、選手は骨が折れてもそれを隠してリングに上がり続けた。
社会現象にまでなったクラッシュ・ギャルズが引退し、女子プロレス界が迎えた冬の時代。それを打ち破ったのは、ヒールのトップに立つブル中野だった。観客の心を掴む天才・長与千種の手によりクラッシュブームは生まれた。デビル雅美が「男子も含め、100年に一人の天才レスラー」と評した長与の天性の表現力に対抗するため、ブル中野は過激で激しいプロレスに活路を見出すようになる。ヒールでありながら、完璧なジャーマンスープレックスを繰り出す技術。100キロを超える巨体で殴り、蹴り、そして飛ぶ迫力。アジャ・コングとの2年にもおよぶ抗争の中で、かつて女子中高生が黄色い歓声を上げていた観客席は、マニアックな男のプロレスファンが大半を占めるようになっていた。
1990年11月14日、横浜文化体育館。ブル中野は、金網の最上段に立ち、顔の前で手を合わせて拝んだ。「背骨が突き抜けて死ぬかもしれないけど、まあいいや」。そう思った次の瞬間、ブルは4メートル下のリングに横たわる宿敵・アジャ・コング目がけて飛んだ。この夜、ブル中野は「ブル様」として、また伝説のダイビング・ギロチンを受けたアジャは「アジャ様」として特別な敬意を払われるレスラーへとなった。
1993年に、なぜ女子プロレスは一大ブームを迎え、またわずか数年でその求心力を失ってしまったのか。そして、いまにいたる女子プロレスの凋落はなぜ起きたのか。ヒールとして赤いベルトを巻いた女帝・ブル中野の過激な改革と、それを支持したファンたちの過激な熱狂。死をも恐れぬ表現者13人が語る、狂った季節の四角いリングの証言――。
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杉江松恋
2011/08/25掲載
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