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近藤史恵 ロードレース・シリーズ最新刊『サヴァイヴ』

シリーズ最新刊は「外伝」的な短編集

──いよいよ『サヴァイヴ』に移りましょう。シリーズ初の短編集で、作品によって語り手が変わっていきます。これまではチカが務めていた役割なんですが、語りを、これまで脇役だった赤城直輝や伊庭和実が務めることによって、より選手たちの心理が立体的に見えてきます。

近藤 この短編集は「外伝」的な位置づけで書きました。まず一話目の「老ビプネンの腹の中」は、やはりチカが語り手を務めます。チカは、パート・ピカルディのエース、ミッコ・コルホネンのアシストとして山岳レースの「パリ・ルーベ」という、ワンデー・レースの最高峰に挑みます。考えてみると、これがもっとも『サクリファイス』の対局にある作品かも知れません。
『サクリファイス』は言ってみれば、いちばんフィクションとしての意味合いが強いとも言えます。そのため「その前段までのリアリティーと比べるとラストは出来過ぎじゃないか」と違和感を持った読者もいたかもしれないんです。でも私自身は、あれはあれでタイトルの意味を浮かび上がらせるために書きたかったことでもありますし、小説として考えるなら気に入っているんです。
けれど私自身も、もっとロードレースのリアルな舞台を再現したようなもの、ミステリー色を薄めてノンフィクションに近い作品も書いてみたかったので、こうした短編集が書けてよかったです。

── せっかくなので、いくつか作品解題していただけますか。収録の6作品中、やはりチカが語り手となる「トウラーダ」は、ドーピング絡みのストーリーです。しかも、ちょっと似たような事件が、自転車レース界に実際にあったとか。

近藤 実在の事件をそのままモデルにしているわけではなく、いくつかの事件を組み合わせています。というのも、ドーピング騒動なんかも現実に起きた事件のほうが作りごとみたいにバカげていて、かえって小説にできないんですよ。
私がかなり応援していた選手が騒ぎを起こしたこともありました。「バカ、バカ!」と思いましたよ。才能も根性もあって将来も期待されてたのに、なんでそんなことするんだと。でももう少し選手の気持ちを引き寄せて考えてみると、違った気持ちにもなるんです。もしかすると、悪いとわたっていても手を染めずにはいられなかった何かがあったのではないか、痛みや焦燥感ってやっぱりあるだろうなと。あれこれ考えていくうちに骨組みができました。
ドーピング検査で陽性が出たときに、当該の選手が「やった」と認めたなら、心を入れ替えてがんばってほしいと思うだけです。すごくシンプル。けれど、「自分は絶対にやっていない」と出場停止になってもずっと無実を訴え、否定し続ける選手もいるんですよ。そのときに、選手の言葉を信じるのか、どうせやっているんだろうと疑ってかかるのか。真偽は結局当事者にしかわからないですよね。ドーピングを認めていない選手の内面ってどうなんだろうと気になったのです。

──「スピードの果て」では、初めて伊庭の視点で書かれます。伊庭はチカが日本にいた頃のチームメイトであり、スプリンターを目指す同期。伊庭はスピードを上げたオートバイの事故を目撃してしまい、自分も初めてスピードに対して恐怖感を覚えるわけですが……。

近藤  怖いですよね。私もスプリントみたいなド級のスピードの中に飛び込んでいくなんて、想像するだにムリムリ(笑)。怖いモノ見たさでレースを観て興奮はしますけど、落車もよく起きるし、大ケガする人もいる。そこに自分から飛び込んでいくわけですから、スプリンターたちは本当はどういう気持ちでいるんだろうかと考えることから始めました。

── そして伊庭の意外な一面も見えてきます。

近藤 そうですね。チカと伊庭のキャラの違いも見せたかったので。チカは健やかでまっすぐな良い子ですけれど、自分の内面にばかり目を向けて、他人に踏み込まないですよね。
反対に、伊庭は押しが強くて勝利への執着も強いけれど、意外に周囲を気遣うタイプではないかと思っていたので、それがうまく引き出せてよかったです。

── 他の3作品、つまり「プロトンの中の孤独」「レミング」「ゴールよりももっと遠く」は、赤城が主役です。ひいきと言ってもいいくらい好待遇ですね(笑)。

近藤『サクリファイス』でインタビューを受けたとき、「登場人物で誰が好きですか」と結構聞かれたんです。素直に「赤城です」というと、インタビュイーの人たちに一様に「えっ……!?」という顔をされて。赤城はあまり印象に残らないキャラクターだったのかなあ、ちょっとスポットライトを当ててやろうと思ったのがひとつですね。
赤城は一見、石尾の忠実なアシストに見えますが、石尾の言動にムカついて心の中で毒づいたりもしてる(笑)。赤城はベテラン選手でもありますし、伊庭の若さや可能性みたいなものに心がザワザワする部分もあるわけです。割り切れない感情を書くのは面白いです。
赤城語りの物語が多いのは、もうひとつ理由があります。石尾の過去を書きたいと思っていたんですが、石尾は無口でつかみどころがないタイプなので、視点人物に向かないんですよ。だったら、赤城から見た石尾という形にしたらいいと。たぶん、石尾って小難しいことを考えていそうで、その実何にも考えてないと思いますよ。レースのことしか考えてないだろうなあ(笑)。

──その石尾と赤城の関係がよくわかる「プロトンの中の孤独」では、赤城が年齢的な不安をじくじくと考え続けているさまが印象的です。

近藤 肉体的な限界を感じるとか、戦力外通告されるとか、年齢によって門が閉ざされる恐怖は、それこそ小説家などやっているとわからない世界ですね。作家なら50代でも60代でも、いえ70 代になっても傑作を書ける可能性は秘めていますし、実際に書いていらっしゃる方もいます。でもスポーツ選手の場合、肉体は自分のアイデンティティーにも直結しているのに、目に見えて衰えがわかるわけで、その不安感は並大抵のものではないだろうなと思います。

── だから、選手は基本的には「いまがすべて」とならざるを得ないですよね。

近藤 そうですね、第二の人生とかみなさんどうしているんでしょう。そのあたりは詳しくないんですけれど、ヨーロッパの選手の中には引退後に大学に通い始めたりする人もいるし、「引退したら農業をする。ぶどう畑が欲しいから(引退まで)もう少しがんばる」なんて言う人がいたりして、面白いです。
あるいは、自分の才能に早くに見切りをつけて、マッサー(レース前後に選手のボディケアをする人)やメカニック(自転車の整備をする人)に転向する人もいますね。すると年齢的には選手より少しは長く自転車の世界で働けるから。いずれにしても厳しい世界ですよね。

── この短編集の中では、語り手がいろいろ変わります。勝ち負けにこだわるか、アシストという精神に惚れ込んでいるかなど、選手としての充実感、挫折感など内面が人によって大きく違いますね。読んでいると、その人ならではの思いがわかり、共感することも意表を突かれることもあります。それは近藤さんの心理描写が見事だからに他なりませんが、近藤さんご自身は、どちらが書きやすい書きにくいとかないんですか?

近藤 私自身が人の心理を突き詰めていく作風なので、うだうだ悩んでくれる人物の方がやや書きやすいというのはあります。でも、たとえば石尾や伊庭のようにあまり語らないタイプを描くなら、内面描写ではなくそれ以外の要素で彼がどういう人物かを読者に伝えていかなくてはいけない。それは彼らを取り巻く人物との関わりでできていると思いますし、極端に書きにくいということはないです。要は、その人物を外から書くか、中から書くかだけの違いですからね。

近藤史恵 こんどう・ふみえ
1969年大阪生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。1993年、『凍える島』で、第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年には、『サクリファイス』で、第10回大藪春彦賞を受賞し、同作は第5回本屋大賞第2位にも選ばれた




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