書評の楽しみを考える Book Japan

 
 
 
トップページ > B.J.インタビュー > 近藤史恵 ロードレース・シリーズ最新刊『サヴァイヴ』

近藤史恵 ロードレース・シリーズ最新刊『サヴァイヴ』

 注目の作家たちの“いま”を聞く、BJインタビュー。第10回となる今回のゲストは、近藤史恵さん。 新境地となった、プロの自転車ロード-レースを取り入れたシリーズは、続編を心待ちにしているファンも多い。
 シリーズ最新刊『サヴァイヴ』を中心に、お話をうかがった。

── (以下、三浦天紗子)ロードレースシリーズの最新刊『サヴァイヴ』が刊行されましたね。楽しみにしていたファンも多かったはずで、私もそのひとりです。このシリーズは第一作の『サクリファイス』で大藪春彦賞を受賞なさっていますし、大のロードレースファンでもいらっしゃる近藤さん自身、思い入れの強い作品群ではないでしょうか。
そこで、今回は『サヴァイヴ』の面白さをひもとくとともに、シリーズ全般を振り返り、さらに近藤さんのお書きになる他のミステリーの魅力にも迫ってみたいと思います。

近藤 はい、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

──  さっそく『サヴァイヴ』についてうかがいたいところですが、その前に未読の人のために『サクリファイス』『エデン』にさらりと触れておきたいです。
ロードレースシリーズは、自転車のプロレースに人生を賭ける男たちのドラマがぎゅっと詰まったスポーツ小説であり、そこにロードレースならではのミステリーが絡んできて、真相に向かって二転三転するサスペンスを味あわせてくれます。
『サクリファイス』の舞台は日本のロードレースです。主人公のチカこと白石誓(ちかう)が、「チーム・オッジ」の新人アシストとして競技に情熱を傾けていくのですが、チカはかつてそのチームで、将来を嘱望されていた選手が下半身不随になる大ケガを負ったアクシデントが起きていたことを知ります。それは事故かあるいは仕組まれたことなのか。その疑念がミステリーになっています。
『エデン』では、前作から3年経ち、チカはただ一人の日本人選手として「ツール・ド・フランス」に参加しています。しかしチカが所属するフランスのチーム「パート・ピカルディ」はスポンサーが撤退を決め、レース開始直前にも関わらず解散の危機にさらされてしまいます。エースのアシストに力を注ぐつもりでいたチカですが、次の所属チームに呼んでもらうには別の貢献をしなくてはいけない。自分がどう振る舞えばいいか、チカは迷います。その一方で、レース終盤にドーピング検査で陽性が出て、その犯人は誰かがミステリーです。「スポンサー探し」や「ドーピング疑惑」など、現在のロードレース界を取り巻く問題に深く切り込んでいるのも読みどころです。
まず、自転車競技を軸にこうした濃密なミステリーが書けるんじゃないかと、近藤さんが思ったきっかけは何だったんでしょうか?

近藤 身も蓋もない最初のきっかけは、自分が乗る自転車を買おうと思ったことです。それでいろいろ調べ始めるうちのロードレースを知り、一ファンとしてジロ・デ・イタリア(イタリアで行われるロードレース)を楽しんで観ていただけなんです。最初に見たレースが2005年のジロ。行けそうだとひらめいたのはこのときで、だから印象が強いというのもあるんですが、実際とても面白いレースだったんです。最後まで優勝争いが混戦したり、イケメンとかキャラ立ちした選手が多くて盛り上がった。その当時は日本ではライブ中継はなかったので、結果を知って見ていたはずなのに、すごく興奮しました。
『サクリファイス』を実際に書き始めたときに思ったんですが、自転車ロードレースというスポーツは心理的な駆け引きが複雑で、競技自体がすごくミステリーとなじむんですよね。

── ロードレースという競技の特殊性が、このシリーズの面白さに通じているわけですね。

近藤 はい。私自身がこんなにスポーツ観戦にハマったことは初めてで、あまり他のスポーツと比べて考えられないのですが、自転車レースは、サッカーなどのような「オレが、オレが」と前へ行くスポーツとは戦い方からして違いますよね。「チームの結果に結びつくなら、自分は最下位でも構わない。自分の仕事がまっとうできれば」というメンタリティーはめずらしいかも知れません。
あと、アシストって存在が、武士道みたいでカッコいいなと思ったんです。

──『サクリファイス』では、主人公のチカこと白石誓(ちかう)は、まさにそのアシストという役割に惹かれて、陸上選手から自転車競技へ転向するんですよね。

近藤 そうは言っても、エースの順位だけで競うわけではなく、自分のリザルト(結果)も残さなくてはいけないわけですから、とにかく奥が深い。

── とはいえ、スポーツとミステリーを融合させるのはそれほど簡単じゃありませんよね? 

近藤 いつもそうなんですけれど、ミステリーのキモというか、どんでん返しの部分に四苦八苦することはあまりなくて、瞬間的に下りてくることが多いんですね。『サクリファイス』もそうで、2005年のレースを観ていたときに浮かんできました。むしろ腐心するのは、浮かんだアイデアをミステリーとして成立させるために、どう肉付けをしていくかなんです。
『エデン』では、ヨーロッパで活躍するような日本人選手がいたらいいなと思ったことや、ロードレースが好きなら誰でも憧れるツール・ド・フランスで、フランス人のスター選手が生まれたらどうなるだろうと思いついたことが始まりでした。現実では、フランスは自転車競技の本場でありながら、長い間スター不在という立場に甘んじているので期待は大きいだろうなと。

── これは多くの読者が絶賛していたことですが、競技を知らない読者にもチカの語りを通して、さりげなくルールや競技の性質みたいな"自転車レースを楽しむための基礎知識"が説明されていきます。
たとえば、ロードレースには1日で決着がつく「ワンデーレース」と、数日かかる「ステージレース」があるとか、レースの形式は違っても、チームメイトが一丸となってエースを勝たせるためにアシストしていくのが必定だとか、知らなかった情報が何の苦もなく得られる。ですから、そのあたりの敷居の高さはまったく感じませんでした。

近藤 デビューしてしばらく、歌舞伎のミステリーを書いていたんです。そのときにだいぶ鍛えられた気はします。

──『ねむりねずみ』や『散りしかたみに』など、近世日本文学を研究する今泉文吾と女形役者の瀬川小菊が探偵として活躍するシリーズですね。ミステリーを読んでいるのに、知らず知らずに歌舞伎の知識もつくという(笑)。

近藤 歌舞伎も、好きな人は好きで詳しいけれど、知らない人はほとんど何も知らない世界ですよね。その両方の読者に向けて書くときに、どれくらいの情報を入れるといいだろうとかなり突き詰めて考えたことがあるんです。知っている人にはうるさがられず、知らない人には理解の補助になるような説明にするにはどうしたらいいのかと。
たとえば、ロードレースの話を書いていて、あるパーツの名前が文章中に出てきたとき、それがとっさにどんなものかはわからなくても、パーツの名称らしいということが伝われば読み進んでもらえる。それをよきタイミングで説明できれば、そのほうがテンポを殺さずに楽しんでもらえると思っているんです。絶対にその場で説明しなければいけない場合もあるけれど、小出しにしていってもいいのだし、うんちくだけ延々続くという書き方だけは避けるようにしています。個人的にはそれほど説明しなくても意外と伝わるなという実感もあります。
とはいえ、他の数多のスポーツ小説に比べると、確かに説明に割いている部分は少ないかも知れませんね。ロードレースに詳しい人が読むと、「この程度の説明で、ロードレースを知らない人が読んでもわかるの?」と驚くみたいですから。

──梨園のシリーズとロードレースのシリーズには、他にも相通じるものがあると思いました。梨園のシリーズには、舞台の上で役を生ききる憑依型の役者と、芸は一流だけど舞台と私生活とは完全に切り離している役者、両極の人物が出てきますよね。
ロードレースのシリーズも、登場人物にはエースかアシストか、対照的なポジションが割り振られていて、そういう構造の物語がお好きなのかなと思ったんです。

近藤 両極のキャラクターを備えた人物が相まみえる物語は好きだと思います。なぜ好きかと言えば、何よりも、その人たちの間に生まれるねじれた感情や屈折した思いに関心があるからです。
アシストの人は、自分の仕事に誇りを持っていると同時にエースへの嫉妬もある。一方、エースだって弱かったら追い落とされるわけだし、絶対的なポジションを保証されているわけではない。追われる立場としての不安感は生半可なものではないだろうし、そうした葛藤からにじみ出る苦悩が、物語の色気につながるのではないかと思うんです。

──物語の色気ですか。

近藤 なかなか説明しにくいですけれど、レースに向き合うことで、登場人物たちが内面に抱えているSっ気、Mっ気みたいなものが否応なく漏れ出てしまうというか……。
ロードレースのシリーズは、少年マンガによくあるような、チームメイトたちが心をひとつにして栄光にまっすぐひた走るという小説ではないですよね。込み入った思いを背負い込みながらなお人生を賭けているわけで、もともと私が書く小説はそうした屈折した心理などが主軸になっています。スポーツ小説においても然りなんでしょうね。

近藤史恵 こんどう・ふみえ
1969年大阪生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。1993年、『凍える島』で、第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年には、『サクリファイス』で、第10回大藪春彦賞を受賞し、同作は第5回本屋大賞第2位にも選ばれた


インビュアー/三浦天紗子    


インタビューで紹介されている本

『サヴァイヴ』
近藤史恵
新潮社小説] [ミステリー] 国内
2011.06  版型:単行本 ISBN:4103052538
価格:1,470円(税込)
『エデン』
近藤史恵
新潮社小説] [ミステリー] 国内
2010.03  版型:単行本 ISBN:410305252X
価格:1,470円(税込)
『サクリファイス』
近藤史恵
新潮社新潮文庫小説] [ミステリー] 国内
2010.01  版型:文庫 ISBN:4101312613
価格:460円(税込)

Internet Explorerをご利用の場合はバージョン6以上でご覧ください。
お知らせイベントBook Japanについてプライバシーポリシーお問い合わせ
copyright © bookjapan.jp All Rights Reserved.