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渋谷豊さんに聞く「どうしてそんなにダメ男小説が好きなんですか?」(前編)

時代のせいにできないダメさ

 ――『ぼくのともだち』の初版が刊行されたのは、1924年。日本で谷崎潤一郎が『痴人の愛』の連載を始めた年と同じです。日仏で同時多発的におもしろいダメ男小説が生まれたんだなあと思いまして。

 渋谷 なるほど。ファム・ファタール(宿命の女)と呼ばれるような女性に翻弄されてぼろぼろになるダメ男を描いた小説ってありますよね。『痴人の愛』はその系譜の中でも特によくできています。ボーヴも中年のおっさんが若い女の子に夢中になる小説を書いているので、そういう心理にも興味はあったんでしょうけど、恋愛もの一本ではありません。

 ――『きみのいもうと』の訳者あとがきに書かれていたことが興味深かったです。ボーヴはまともな社会人を主人公にできないんだけれども、かといって現実味のないおとぎ話を語れる人でもないというところ。

 渋谷 そうそう、ボーヴって、無職の主人公が何をして食っているのかということをないがしろにできない人なんですよ。
同時代のフランスの作家も、わりと無気力な男を主人公にした小説を書いています。例えば、ルイ・アラゴンの『オーレリアン』。タイトルは主人公の名前なんですけど、第一次大戦の記憶を引きずって、働かず、街を彷徨っている男なんです。設定は『ぼくのともだち』のヴィクトールに似ていますよね。
オーレリアンは、道を歩いている女性のあとをつけて、暇をつぶします。自分が惚れたら狂気に陥ってしまいそうな女を"狂気型"と呼んだりとか、女性をいろんなタイプに分類するところがおもしろいし、笑えなくもない。ただ、オーレリアンは長い間、何もしないでも食うに困らない高等遊民暮らしをしてきた男で、詩の朗読をするような集まりにしょっちゅう顔を出しているインテリなんです。ダメっぽい行動も、ちょっとポーズのように見えなくもない。あざとい感じがします。
ボーヴの主人公というのは、時代のせいにできないダメさがあると思います。まず、趣味がないんですよ。

 ――ああ、たしかに。

 渋谷 精神的に素寒貧なんです。ほんとうに何もすることがない。また、貧しい移民の子で、父親の愛人の援助で教育を受けられたという、ボーヴの出自とも多少関係があるのかもしれませんが、どこに行ってもよそ者みたいな感じなんですね。慣れるということがありません。だから、常におどおどしながら、周りを見回すんです。観察の仕方もいびつですよね。

 ――知り合いになった男がカマンベールチーズをご馳走してくれるんだけど、自分にくれたのは小さい方だったとか(笑)。ものすごくみみっちい。自分の身体のヘンテコな部分も、実によく見ていますね。

 渋谷 人間の顔の皮膚で一番柔らかいのは額の皮膚だとか、トリビアになりそうな話も出てきます。きっと、自分の身体くらいしか、おもちゃがないからじゃないかな。

 ――服装の描写もすごく細かいですし。

 渋谷 着るものなんか構わないとか、割り切ったところは一切ない人間ですね。世の中に捨てられている男かもしれないけど、決して世捨て人ではない。おしゃれもしたいという気持ちは持っているんです。

 ――人とつながりたいという気持ちも持っている。だけど、他人との距離がうまく測れないし、傲慢なところがある。

 渋谷 ともすればダメ男って、世の中になじめない人間、それだけに純粋無垢という感じで、神聖なものとして扱われることもあるような気がするんです。でも、ボーヴの場合はそうならない。嫌な部分も書き込んでいるんですよね。

 ――でも、何か嫌いになれないのはどうしてなんでしょう。

 渋谷 ぼくも嫌いにはなれないですけど、それはやっぱり、自分もダメ男だからじゃないですか。実はダメ男と言うとき、ぼくは"男"に力点を置いているつもりはないんですよ。ジェンダーは意識していません。

 ――ボーヴもそうだったんでしょうね。例えば 『のけ者』は、主人公のニコラもダメですけど、そのお母さんもかなりダメですから。時代も国も性別も関係ない、人間のダメなところを、渋谷さんがおっしゃったように、誇張せずに描いているから惹かれるんだと思います。
よくぞ訳してくださいました。

 渋谷 ぼくは、よく今まで翻訳が出ていなかったなと思ったんですけどね。ボーヴが活動していた1920年代から30年代に、日本でフランス文学が一気に紹介され始めたんですよ。『ぼくのともだち』は、当時のフランスでそれなりに評価されていたようなので、訳されていても不思議じゃありません。

 ――刊行直後にパロディーも発表されたそうですしね。

 渋谷 そう。『ぼくの愛人』というタイトルです。主人公が爪を切った後、飛び散った爪を全て回収することが出来ず、「楊枝にするつもりだったのに!」と地団駄踏むという話(笑)。元ネタを知らないと楽しめないパロディーが、新聞に載ったくらいだからよく読まれていたんだと思います。
第二次大戦後、アンガージュマン(社会・政治参加)文学が盛り上がって、イデオロギーと無縁なボーヴは忘れられたのですが、劇作家のサミュエル・ベケットや詩人のクリスチャン・ドートルモンなど、ごく一部に熱狂的なファンがいて、1970年代後半に再評価されたんです。
今でもビッグネームではありませんが、ぼくがパリに住んでいたころは、大きな書店に行くと、一応著作が揃っていました。現代の作家の中にもボーヴの読者がいます。例えば、ダヴィッド・ナミアスの『ミスター・アルト』(※)という作品は、フランス版ダイヤルQ2にはまっている男が、電話を待っている間に、ひたすらボーヴの小説を読むんです。
ボーヴ・ファミリーはきっとまだいるだろうから、そのうちゆっくり探してみたいですね。

渋谷豊 しぶや・ゆたか
1968年生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒。パリ第四大学文学博士。信州大学人文学部准教授。『ぼくのともだち』『きみのいもうと』で第13回日仏翻訳文学賞(小西国際交流財団主催、西永良成、小林茂、野崎歓、堀江敏幸が選考委員)を受賞。他の訳書に、エマニュエル・ボーヴ『のけ者』、フランソワ・ヴェイエルガンス『母の家で過ごした三日間』がある。



インタビューで紹介されている本

『母の家で過ごした三日間』
フランソワ・ヴェイエルガンス 渋谷豊
白水社小説] 海外
2008.03  版型:B6 ISBN:4560092079
価格:2,415円(税込)
『痴人の愛』
谷崎潤一郎
中央公論新社中公文庫 国内
2006.10  版型:文庫 ISBN:4122047676
価格:840円(税込)
『オーレリアン』
ルイ・アラゴン 生島遼一
新潮社小説] 海外
1954.10   ISBN:B000JB4IXA
価格:350円(税込)

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