目利きの翻訳家にテーマをしぼってインタビューする「この翻訳家に聞きたい」。第1回のゲストは、本国フランスでも忘れられていたエマニュエル・ボーヴという作家を発見し、本邦初訳を果たした渋谷豊さんです。ボーヴといえば、ダメ男小説! というわけで、渋谷さんの好きなダメ男についてお話を伺いました。
本文中で言及される(※)を付記したタイトルは、2010年現在、未訳の作品。邦題は渋谷さんが仮につけられたものです。
――(以下、石井千湖)渋谷さんの訳書は現在4冊。そのすべてが"ダメ男小説"です。ボーヴの『ぼくのともだち』の主人公、ヴィクトール・バトンは無職で、恋人も友達もいない。毎日、何もすることがないから、パリの街をぶらついている。『きみのいもうと』のアルマンは戦争未亡人に養ってもらっていて、『のけ者』のニコラは母親と一緒にいろんな人に借金をしながら暮らしている。ヴェイエルガンスの 『母の家で過ごした三日間』は、小説が書けないマザコン作家の話。訳書に、渋谷さん印が刻印されている気がします。
渋谷 ぼくの場合、「これを訳してください」という依頼をいただくわけじゃなくて、「これを訳したいのですが」と持ちこむ形なので、そうなるんでしょうね。ダメ男小説を探しているわけではないんですけど、好きなんです。
――ボーヴの作品とは、いつ出合ったんですか。
渋谷 ぼくは1995年から2003年まで8年間フランスに留学していました。ボーヴの本を初めて読んだときは、多分、2000年にはなっていなかったと思います。そのころ、することがなかったんですよね。
――することがなかった、というと?
渋谷 一応、学生で、博士論文を書かなきゃいけない身分でしたけど、それ以外に、学校に行く用事はなくて。毎朝、だいたい5時半ぐらいに家を出て、地下鉄でパリの端から端まで行って、ホテルのお客さんを集めるアルバイトをしたあとは暇なんです。たまたま寄った本屋で手にとったのが、記憶は定かではないのですが、たしか、『予感』(※)だったと思います。
ぱらぱらとめくったら、ぼくにも読めそうだったんですよ。それと裏表紙に、忘れられていた作家であるとか、悲観的な世界観を持っているというようなことが書いてあったので、興味を持ったんでしょう。天気がいい日だったし、公園で本でも読むかという感じで買ってみました。で、おもしろいなと思って、次に『ぼくのともだち』が入っている作品集を読んだらハマったんです。
――ボーヴのどういうところにハマったんですか?
渋谷 独特のユーモアがあるところかな。読んでいて笑えるんだけど、同時に人間というのはつくづく悲しいものだなと感じます。主人公の目を通して、華やかなイメージがあるパリの過酷で寂しい一面も非常によくつかんでいるような気がしたんです。
――悲惨で笑える話の合間に、はっとするほど美しい風景があらわれたりするところがいいなあと思います。
渋谷 そう言っていただけるとうれしいです。ぼく自身、パリの叙情詩として読んでいるところもあります。
――ダメ男小説であることは、意識していましたか。
渋谷 当時は"ダメ男小説"というボキャブラリーがなかったんじゃないでしょうか。少なくとも、ぼくはそういう言葉では考えていなかったから、編集者に『ぼくのともだち』
のヴィクトールのことをダメ男といわれて、ちょっとショックだったのをおぼえています。ああ、ダメ男っていわれちゃうのか、って。ただ、昔から、ヴィクトールみたいに、何をやっても失敗しちゃう人が出てくる小説は好きでしたね。
自分に自信を持っている人があまり好きじゃないからかもしれません。もちろん、社会に受け入れられない、あるいは社会に反抗するというのは文学者の定番スタイルですけど、そういうバイタリティーを持っている人より、ちょっとせこいやつのほうが身近に感じます。一方で、アルチュール・ランボーみたいに、すべてにノンを突きつけるような、カッコいい書き手にあこがれる気持ちもあるんですけど。
ランボーに『僧衣の下の心』という散文があるんです。それもダメ男小説といえなくもない。でも、主人公を徹底的に滑稽に描いて、笑いのめしているのが、ぼくにはきつすぎるといいますか。『ぼくのともだち』みたいに、人間をあまり誇張せず、正確に描くことでダメっぽさが漂い、なおかつ、笑えると申し分ないかな。