—— 個々の対談を読んですぐに気付くことですが、意見の相違もハッキリ出ているし、噛み合わない部分は噛み合わない生々しさがそのまま出ている気がします。
山崎ナオコーラさんは、「私はそうは思いません」とハッキリおっしゃる方で、そういう時はやはりあせります。竹西寛子さんとの対談では、お互いの著作が対談場所に積んであって、ぼくの『短歌という爆弾』(小学館)を手に取って「たんかというばくだん」と小さな声でつぶやかれた。ぼくの使った「爆弾」は単に「強烈なもの」というくらいの意味ですが、竹西さんは被爆体験をお持ちの方ですね。一瞬、ドキッとしました。
—— 川上弘美さんとの対談は、お互い一行ずつポンポン言い合うという感じでテンポよく進んでいくんですが、読みながら「待てよ、オレ、わかってないな。わからないまま読んでるな」というあせりがあって、個人的にいちばんハードでした。
対談をまとめる方の個性もあるし、それぞれの方のリズムがあります。一人がダーッとしゃべって、またもう一方がダーッと話すという時もある。川上弘美さんの対談は最初、「ユリイカ」でやった時のものを再録させてくださいということだったんだけれども、弘美さんのほうから、「あれ、やり直さない?」という提案があって、また新しくやりました。それを「ちくま」のWebサイトに半分くらい載せたのかな。だからあれがいちばん新しいんです。
—— しかしいっぽうで穂村さんは「噛み合ってしまう世界なりにがんばったつもりである」と「あとがき」で書かれていて、この言葉はとても響きました。
「あとがき」に少し書いたことなんですが、何年か前にテレビをつけたら、新春対談みたいのを放送していたんですね。それがどう見ても現代ではなくて、どうやらだいぶ昔のVTRを引っ張り出して流しているらしい。片方が文豪、片方がプロ野球のスターでした。で、最初に「あなたは何をしている人?」とお互いに聞き合っていて、「そこからかよ!」と非常に衝撃を受けたんです。今ならあり得ないでしょう。「ネットで検索して来なかったのか」という話になってしまう。それで「野球です」「あれは疲れるでしょう。体力がいるでしょう」みたいな会話になっていって、そこにひどくまぶしさを感じた(笑)。
今はもう、すべての情報が耕されてしまい、こんな対談はできないんです。例えばテレビに出ている芸人と視聴者は共犯関係にあって、芸人の非常に細かいリアクションまで観るほうもわかっているし、芸人も「わかられてる」ということを察知しているわけですね。
だから、爆発的な笑いが取れることよりも、その場その場でうまくリアクションをし続けることのできる人が生き残る。しかしそんな状況になって、それでみんな幸福になっているわけでもなければ、孤独感が無くなっているふうでもない。「なんでこんなことをし続けなきゃいけないんだろう?」という思いは絶対にある。しかし昔のようにはもう絶対にできないんです。
だからぼくがもしその新春対談に混ざって鼎談になるなら、「きょう対談するのがわかっていて、相手のことをまったく知らなくて怖くなかったですか?」と聞くことがプリミティブな問いになり得るのではないかと。「なんで平気でいられるんですか?」と。今やぼくにとってのカードはそれしかない。そういう問いかけを、きめ細かく耕されてしまった世界の中に投げていくことが、「噛み合ってしまう世界なりにがんばる」ということの意味です。
—— なるほど。しかし「なんで平気でいられるんですか?」と聞かれた文豪とプロ野球スターは、その問いの意味がわからないでしょうね。
わからないでしょうね。うちの父に「若い時はやっぱり、自己実現とか考えた?」なんて聞いてもピンと来ないでしょう。「おまえを立派に育てたではないか」というかもしれない。
—— その「耕されている」「噛み合ってしまう」ということとつながっていると思うんですが、穂村さんがこれまでしばしば「ワンダー」と「シンパシー」という言い方で語ってこられた問題があると思うんです。今はワンダーよりもシンパシーのほうが圧倒的に優位にあって、言語はどんどんツール化して、シンパシーを寄せられるような小説ばかりが求められるという。
ええ。ただそれはやはり状況がそうさせるという面が大きいのであって、人々のワンダーに対する感受性が必ずしも後退しているとは思わないんです。今年、皆既日蝕でちょっと盛り上がりましたが、あれってやはりワンダーに対するポテンシャルはあるということだと思います。ただそれは非常にお手軽な形でしか接触できないし、しようとも思わないというのは問題ですが。
現代という時代は、例えば大の男が住宅地に30分もうずくまっていたとして、「何をしているのか」と尋問されて、「コンタクトレンズを落としちゃったんです」と答えれば無罪放免だけれど、「キレイな蝶がいたんです」と答えるとすぐには離してくれない。「あのトカゲ、息を吹きかけただけで尻尾が切れるんですよ」なんて言ったらますますヤバい(笑)。
でも「あのトカゲ、息を吹きかけただけで尻尾が切れる」なんてまるで詩ではないかと。今やわれわれはそういうグラデーションの中を両義的に生きなくてはならないんですね。若い時ほどコンタクトレンズから遠く、蝶やトカゲに近いしいけれど、歳とともにだんだん許されなくなる。許されても蝶やトカゲに対するセンサーは落ちてゆく。
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