──(以下、三浦天紗子) 『スコーレNo.4』(光文社)から数えると、『遠くの声に耳を澄ませて』(新潮社)は、約2年ぶりのオリジナル作品集なんですね。その間に、2冊のアンソロジー集に「よろこびの歌」(『Re-born 始まりの一歩』実業之日本社)と「空の青さを」(『COLORS―カラーズ』ホーム社)を寄稿なさっていますが、ファンはかなり首を長くして待っていたのでは?
宮下 それほど筆が早くないもので……。ただ、『遠くの声に耳を澄ませて』は、オリジナルが出なかった、まさに2007~2009年の間に、雑誌『旅』(新潮社)に1年間連載していたものです。編集部からは、「たとえば、あるシーンにスーツケースが出てくるだけでもいいので、何か旅を連想させるモチーフを絡めて書いてください」とだけ言われていました。あとは自由に書かせていただき、楽しかったですね。
── 確かに12篇とも、何らかの形で「旅」は出てきますが、旅行者の話ばかりではないですよね。会話の端にちょっと上るだけの旅や、もはや思い出の中にしかない旅など、旅との関わり方はいろいろです。旅する先も少し変わっていて、耳慣れない地名もありますね。
宮下 「アンデスの声」には、エクアドルの首都であるキトが、9話目の「クックブックの五日間」には、北海道の道北に位置する朱鞠内湖(しゅまりないこ)が出てきます。名前の響きがキレイな場所に惹かれるものがあり、偶然知ると、記憶に残っているんですね。それが、ふっと浮かんでくる。
── 1話目の「アンデスの声」は、<「じいちゃんにカレンダーはいらん」>という書き出しが印象的です。専業農家として一日一日を働きづめに働いてきて、カレンダーなど無用の人生だった祖父と、その祖父といっしょに畑仕事に精を出してきた祖母。語り手の瑞穂は、その祖父母に預けられていたこともあります。もうすぐ80歳になる祖父が倒れ、病床でつぶやいたキトという単語から、瑞穂と祖母の記憶が巻き戻されていく。温かな余韻があります。
宮下 私が小学校の頃に、男子の間で海外の短波放送を聞くのが流行っていたんですよ。放送を聞いて、「ベリカード」(受信証)を集めたり。「アンデスの声」というエクアドルの放送局はつかまえやすい局だったようで、クラスの男の子たちの話題によく上っていたんでしょう。名前がとても印象に残っていたので、そのままタイトルにしました。キト、アンデスの声、ベリカード……いつまでも心に残るような響きを持つ単語には、それ自体に物語がひそんでいるような気がするんです。単語をずっとつぶやいているうちに、物語が浮かんでくることがありますが、この作品もそうして生まれた一篇です。
── 瑞穂の祖父母は、農業一筋で地元からもほとんど出たことがない。そんな彼らに豊かな脳内の旅を提供してくれたのが、キトの街が描かれたベリカードだったんですね。
宮下 そうですね。この話は12篇の中でもかなり気に入っている一篇です。というのは、瑞穂の祖父母のように、日本のどこかの地方、どこかの小さな村でひっそりと生きてきた人にも豊かなドラマがあるというのが、たぶん私の好きなストーリーの雛型だからだと思います。
もちろん、東京やニューヨークなど大都市にも、人生を華やかに歩いてきた人にも、子どもや若い人たちにもドラマはあるでしょう。でも、どちらかと言えば目立たず、淡々と生きてきた人にも深い物語があるというのが、これまで私が身をもって知った事実であり、書き続けていきたいテーマでもあるからです。「アンデスの声」では、それを自然な物語として書けました。
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