5月に完結した林譲治の『ルナ・シューター』を「2009年の国産ハードSFを代表する作品」としてオススメしたが、わずか5ヵ月後に、作者本人によって、それを上回る作品が発表されてしまった。それが、22世紀の太陽系を舞台にしたAADDシリーズの第三作『ファントマは哭く』である。なお本書は単体でも楽しめるので、前作までを読んでなくても大丈夫。
本書には様々な要素が含まれている。太陽系に現れた異星人ストリンガーとの隔靴掻痒の感があるコンタクト、ストリンガーの謎に包まれた行動、マイクロブラックホールでの怪現象、そしてタイトルにもなった《ファントマ》と呼ばれる危険な「天体」の登場……。
これらを一々説明していると、レビューが長くなってしまうので割愛します。ネタばらしになるかも知れんしね。ただし作品内では全てが手際よく語られるので、盛り沢山過ぎであるとか、話題があちこち飛んでまとまりが悪い等のマイナスは一切ない。うまいものである。
結論から述べると、本書で主に描かれるのは、価値観その他の相違を原因とする対立と、その融和(の予感)だ。
説明が前後したが、AADDとは人工降着円盤事業団(Artificial Accretion Disk Department)の略称である。彼らは22世紀に、太陽系に飛来したマイクロブラックホールを捕獲し、そこからエネルギーを取り出すことで、宇宙空間に適応した文明を築き上げた。そしてシリーズ第一作『ウロボロスの波動』と第二作『ストリンガーの沈黙』で、地球との戦いに勝利し、繁栄している。
などと言うと、AADD=母なる星・地球に圧政を敷く悪の帝国、みたいなイメージで捉えられそうだが、このシリーズの「悪者」はむしろ地球で、不合理な旧弊と偏見に満ちた、やや独善的な文明として描かれている。しかしAADDは違う。彼らのものの見方や判断基準は大変に公明正大で理性的・合理的なうえに、所属する人々も概ね快活である。中高年の登場人物も多いのだが、皆さんとても気持ちのいい人で、実年齢に比して若い印象だ(事実、老化防止処置が普及しているようです)。友達にするなら間違いなくこっち。
『ファントマは哭く』の主要ストーリーラインの一つは、AADDに圧倒されて不満一杯の地球人類の一派GLA(The Gaia Liberation Army:ガイア解放軍)が、秘密裏に宇宙戦艦を作り、ストリンガーに接触しようというものである。ストリンガーとのコンタクトはAADDが独占しているので、GLAは、ストリンガーと直接交渉し先進技術をもらえたら、AADDに逆転する目もあると判断したのだ。
GLAは、地球がAADDから弾圧されていると信じている。しかし実際には、AADDもまた地球人の偏見で苦労している。AADDは地球人と一緒に宇宙に挑みたいのは山々なのだが、地球側から一方的に敵視されていて共同作業が進まず困っている。そしてAADDもまた、地球人類に対してあまり良い感情を持たなくなっているのである。
ここで描かれているのは明らかに、開明と頑迷の対立だ。新しいものが出来る度に、人類史上繰り返されてきたあの戦いが、22世紀を舞台とした本書においても「宇宙」をテーマに繰り返される。この不毛さ! しかしこれまでずっとそうだったように、理解の努力を放棄さえしなければ、「新しいもの」は最終的に受け容れられることが多い。それを林譲治は信じ、『ファントマは哭く』に込めている。
本書で最も印象的だったのは、作中で初めて地球から宇宙に飛び立ち、さらに船外作業もこなしたテロリストの頭目・雅垣姫星(名前の読みは「きら」。立場からして容易に想像できようが、AADDへの憎しみに凝り固まっている)が、宇宙のあまりの過酷さ――真空や放射能で生命は厳しく拒まれるが、しかし気が遠くなるほど壮大なパノラマが眼前に広がる――に接して、「こんなところで暮らしているなんて」と、初めてAADDの偉大さに打たれる場面だ。AADDは悪辣で卑怯な奴らだとの彼女の信念に、ここで初めて罅(ひび)が入るのである。そして続くエピソードにおいて、姫星は、AADDやストリンガーの目から見て、GLAを含む地球人類がどんなに「イタい人々」だったかを直視する羽目になるのだ。
ポイントは、これを契機に、次第にGLAにもカッコいい見せ場が増えて来ることである。終盤、姫星たちは宇宙に慣れたAADDはだしの機転をきかせて、自分たちの危機を脱することになる。そして終盤では、GLAを含む地球社会がAADDと手を携える機運が高まりさえするのだ。
作者はこれと並行してストリンガーとのコンタクト進展を絡めて(ネタばらしになるので詳述しません)、落ち着いて理性を保てば、相互理解はいずれ可能になることを、辛抱強く示す。善玉からやたら死人を出したり、登場人物が熱い演説をぶちかますといった、あざとい手法を一切採用していない分、林譲治が科学や理性の力、そして人間を信じていることが直截に伝わってきて、読後感はなかなかに爽やかである。
本書は宇宙開発に関するハードSFでもあるため、科学的な記述も少なくない。しかし書き方が平易で読みやすいのはありがたい。各エピソードが終盤で収斂する点も含めて、完成度は非常に高く、作者・林譲治としても会心の出来だろう。総合評価はむろん☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
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あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |